Lunatical life in broad daylight
へにょ~~~…… リ ツ 。ヮ ツ。
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時間論~複数時間混在都市モデルとしての『ネオ・ヴェネツィア』
 さて、特定の作家ばかり贔屓にするのも主義ではないので、初期の頃からちょくちょく読んでいた天野こずえの話を、特に話題性の高いARIA~AQUAの世界観に限定して語ってみましょう。

 この作中における世界は、各個人の時間を統一し、集約することにより成立する近代的時間が支配的な地球に代わり、これとは一定の時間的・空間的距離を置いた惑星AQUA(テラフォーミング後の火星)のなかの一都市、『ネオ・ヴェネツィア』を舞台としていますが、この都市においては、気候制御、重力制御、エアバイク、メールなどのオーバーテクノロジーが都市管理や一部の生活手段として導入されている傍らで、住民の殆どがあえて18~19世紀レベルのローテクに根ざした生活モデルを固持しています。自分達がそれぞれ望む時間に則して生活している共同態。それぞれが異なる時間意識を持ったイデオロギー集団の共生モデル――作家本人が意識しているのかは知る由もありませんが、時間社会における、ひとつのユートピアが描かれているのです。

 それでいて、各住民は柔軟にイデオロギーを使い分ける現実性も持ち合わせています。かつて自然時間の住民であった中世欧州人に近代的時間管理を徹底させたのは、時計の一般的浸透や交通網ですが、AQUAの住民はもともと近代時間社会にルーツを発しているためか、水上バスやロープウェイなどの交通手段や時刻表、それに待ち合わせといった共時の利用にも抵抗を示さず、それでいて、それ以外の領域において固有の時間と生活スタイルを守っています。

 実際、作中世界に登場するウンディーネ(水先案内人)は、1人として腕時計を使用してはいません。時間辺りの力率や生産率が経営管理に直結する製造業や、精確な運用が要求される運輸・交通業とは異なり、職人的歩合制や零細企業のスタイルでは時間の厳密性はさほど要求されない。おそらく必要な時にだけ大時計や懐中時計を使用しているのでしょう。

 この作品が商業ベースにおける宣伝として「癒し」をキーワードにしているのは、作中世界への没頭を通して、日常において自我を束縛している近代時間の意識の消滅<生きている時間>と、近代時間の鎖の外にある時間の間接的体験を通した、一種の解放が体験されることがあるからなのでしょう。

※蛇足ですが、この作品世界では非日常への小道具として、風鈴や風車が頻繁に登場します。これらは、線形的な近代的時間とは離れた反復の世界、円環の世界をシンボリックに表現している機能を果たしているのでしょう。

#ちなみに、このような癒し系とは対極の位置にある「高速ベースの時間混在都市」も現実には存在します。一例として、中国の電脳街『華強北』を挙げると、この都市は地下鉄網が完備されていながら、人民は道路の信号を守ったりはしません。信号が赤であろうと堂々と歩き、クルマも負けないくらいクラクションを鳴らして強行突破していきます。与えられた時間をあるときは受け入れる反面、ある時には拒絶して、「自分の時間」を確固として貫いています。店舗では中古品(人件費コストが安いので、パーツを取って修理した方が新品を買うよりも安くつく)と新品が、肩を並べて多量に汎用部品として売買されており、街路では経済の急成長に応じるかのように急ぎ足で歩む人々の傍らを、看板持ちのバイト達が集団でねり歩いています。

 癒しの時間のユートピアと、アグレッシブな時間の極限的スタイルとしてのユートピア。相対的には同価値であると言えますが、それぞれが本質的に異種のイデオロギーを寛容に内包している点において、非常に興味深いモデルといえるでしょう。




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