Lunatical life in broad daylight
へにょ~~~…… リ ツ 。ヮ ツ。
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ゆらめきのプレリュード③
第三章 めぐりめぐるは

 楓に連れられて、『小里ちゃんのお家』に辿り着いたのは、ちょうど、空が茜色から藍色に染まってゆく最中だった。もう、数百年以上も前から建てられていたかのような邸宅。門前に掲げられたほのかな灯りからは、来訪者を気遣っている、優しい心遣いが感じられる。
「懐かしい感じ・・・それに、いろんな匂いを感じるよ」
「もう。あんまり、他人様の家を覗き込まないのっ」
 塀の向こうの様子を見ようと、そわそわとつま先を伸ばしている由良。その首根っこを軽くつまみ上げると、救いを求めるように、しゅんとした目で、こっちを見つめてくる。自分では認めたくないのに、胸の奥で心臓が熱くなっていくのが、はっきりと自覚できた。さすがに、服の上からは、胸の鼓動までは分からないはずだけれど、私は、握った左手で左胸をかばいながら、精一杯の演技力を振り絞って答える。
「・・・そ、そんな目で見たって、ダメなものはダメなんだからね」
 これ以上の接触は危険と悟って、私は楓に身柄を明け渡す。それだけでも、疲労感がどっと増えた気がした。
 そんな私の肩を、わきわきと揉みしだいてくれる・・・誰?
「女の子ばかりの癒し系空間、白梅寮へようこそ~♪ みんなのお姉さん、永泉寺(えいせんじ)小里(こさと)です」
 背後を振り返ると、お姉さんかどうかは分からないけれど、私と同じか、ちょっと年上かもしれない子が、いつの間にか私の背後に回りこんで、両手をかいがいしく動かしている。
 ノスタルジックなブラウスに身を包んだ、ふんわり系のスタイルと澄んだ声。その要素は、本来なら普通に好感を与えるものだと思うけれど、その、変な誤解を招きかねない言い回しについては、勘弁して欲しかった。
「えと・・・楓のにわか友達の、星奔純理です。これからお世話になろうという身で、不躾な質問ですけれど――信用しちゃっても、よろしいのですか?」
 代償として求められそうな物事の数々が脳裏をよぎると、それだけで全身の血液が沸騰しそうな気分になってくる。同性の子にキスされて気絶するような私でも、いや、そうであるからこそ、私は譲れないものを多く持っている。そこまで真面目に考えていたにも関わらず、楓が口をとがらせて言ったひと言は、率直かつ容赦のないものだった。
「小里ちゃんはいい人なのに・・・純理ちゃんのばか」
 それが事実であったからこそ、なおさら、楓にだけは言われたくなかった。

 白梅寮についての正直な第一印象は、「歴史年表からちぎり取った紙片を貼りあわせたような建築物」だった。曲がりくねった廊下や、非対称に接続した各部分。大きさも光の入り方も全く違った部屋同士が、引き戸を介して直接繋がっている区割り。まるで、芸術作品か何かであるかのように、無駄な部分やいびつさを感じられる空間が、むしろ意図的に作られている。
 この折れ曲がった構造を贅沢と見るか、それとも、無駄と見るか。評価は大きく分かれてくるけれど、私は、良い意味でも、悪い意味でも、小里さんの性格がそのまま具現化したような建築だと思った。
 そのような、複雑な構造を持っているものだから、小里さんに案内されて部屋を通ったり、廊下を曲がったりしているうちにも方向感覚があやしくなってくるのは避けられない。しかし、その間にも、いくつかの事を教えてもらうことができた。
 私達の他には、四人が白梅寮に滞在していること。普段は、誰も訪れることの無い辺鄙な処で、それなりに恵まれてるから代償は何も要求していないということ。その代わり、もともと住んでいたのは小里さん一人だけで、使用人は一人もいないから、身の回りのことに関しては、助け合って貰っているということ。
「部屋はまだ余っているから、好きなところを選んでいいよ。仲良しさん同士なら、相部屋も公認するけれど、無理やりはダメだからね」
 口ではそう言っているけれど、素振りと表情からして、絶対に楽しんでいる。しかし、ある意味、こんな性格だからこそ、七人も居候を抱え込んで平気な顔をしていられるのだろう。
 いつものパターンだったら、ここでまた、私が由良と一緒に、和え物かダシにされるはず。そう思って、あれこれと理論障壁を頭の中で巡らせていたけれど、私の背後を歩いていた楓は、それを話す機会すら、与えてくれなかった。
「ごめんねっ。ほわほわになってる間に、由良ちゃんがはぐれちゃったみたいなの・・・」

 勝手がまるで分からない古屋敷の中で、頼りになるのは手元の一燈だけ。早く、由良を発見して、保護しなければならないのに、遭遇はしたくない。ちょっとした風にも揺らいでしまう、蝋燭の炎のような心持ちとともに、私は、人気の無い区画へと足を踏み入れようとしていた。
「何てことはない。迷子になった女の子を、一人見つけるだけ」
 やるべきことは、ただそれだけ。微かに感じる喉の渇きと、足の震えだって、慣れない事に対する緊張感のせい。そう自分に言い聞かせた私は、目を閉じて深呼吸をひとつついてから、にわかに白梅寮の探索を開始した。
 特別なことなんて、必要ない。声掛けをしながら、廊下沿いに障子や襖を開けていくだけ。手抜きと思われるかもしれないけれど、ここまで屋敷が広すぎるのだから、仕方がなかった。建物の名前に入っている『寮』の字は、おそらく別邸を意味している。これが別荘だというのだから、本邸の規模は、おそらく想像すらできない規模に違いなかった。
 小里さんは、「部屋はまだ余っている」と言っていたけれど、それどころか、未だに誰とも会うことができていない。此処に一人で住むのは言うまでも無く、傷んでいく建物を維持するだけでも、相当に大変だったはずだ。
 外縁を一回りまわってみて、中庭の方を巡ってみようと振り返ると、果たして浴衣姿で淑やかに夕涼みをしている子が、私のことをじっと見つめていた。見間違えるはずが無い、先刻に外で出会った藍色の女の子。二度と会えないかもしれないとまで思っていたのに、あまりにも、あっけない再会だった。
「星奔純理です。一応、初めまして・・・と言っておきますね」
「・・・・海原(わたのはら)希(のぞみ)と申します。なにぶん湯上がりでしたので、浴衣姿で失礼いたしますね」

 由良と出会ってから、白梅寮を訪れるに至った経緯を手短に話すと、希は得心がいったようだった。
「この辺りには、此処しか人の住める場所はありません。なれば、こうなることも考えておくべきでした。出来るかぎり、必要以上の関わりは作らないつもりでしたけれど――天原さんの御友人なら、私も、無下には拒めません」
 表情は相変わらず乏しいままだったけれど、それでも、希は、私のことを同居人という範囲では受け入れてくれたらしかった。先刻のやりとりを考えると、会話が成り立つようになっただけでも、大幅な進展なのかもしれない。
「出会った後、私達よりも早く帰ってきていたんですね」
「純理さんの前から此処にまっすぐ引き返した私は、つい先ほどまで湯殿で汗を流していたのですが、いつしか『ゆら~、ゆら~』という、聴き慣れない女の子の声が響いてきましたので、何かしらの不備があってはならないと、急いで帯を結んできたのです」
「それは・・・恥ずかしい限りです・・・」
 自分の行為を客観的に認識した私は、すっかり縮こまって謝ってしまう。
「くす・・・けっこう生真面目な方かと思っていましたけれど、天原さんとお揃いの制服なのも、得心がつきました」
 弁解の余地が無いほどに、完全に自己完結してしまった希。初めて見せてくれた柔和な微笑には相応の価値があったけれど、この、妙な誤解を解くという課題に関しては、もはや時間に任せる以外にはなさそうだった。
「・・・話を戻しますけれど、由良の行きそうな場所に、心当たりはありませんか?」
 あらためて、本来の目的に立ち戻る。
「そうですね・・・私は十日くらい白梅寮にお世話になっていますから、多少であれば、中のことも知り及んでいます。しかしながら、私は、由良さんのお人柄には未だに触れておりませんので、場所の見当までは付きそうにありません」
 もっともな理屈だった。会ったこともないような人間の行きそうな場所を訊かれたところで、想像できそうにない。しかし、その代わりに、希は願ってもない物事を申し出てくれた。
「いずれにせよ、早晩お会いすることになるのです。由良さんへのご挨拶も兼ねて、私も純理さんと御一緒してよろしいでしょうか」
 由良を知っているけれど、構造が分からない私。構造を知っているけれど、由良を知らない希。微妙な協力関係に若干の不安要素を残しながらも、白梅寮捜索は再開された。

 ふらふら、ゆらゆら。根無し草のように当てもなく彷徨いながら、私達は探し続ける。希の知識によれば、この建築様式は書院造の流れを汲んでいるらしい。しかし、折にふれて増築を繰り返した結果として、あちこちに歪みや不一致が発生しているという。微妙な高低差や緩衝地帯があったりするのも、建築の歪みを中和するためらしいけれど、迷い易くなるというデメリットについても、少しは考慮して欲しいと思った。
 ところどころに視線を散らしつつ、私は「こんなことになるくらいなら、紐で結び付けておけばよかったのかも」と本気で考えたい心境になってくる。しかし、希はいたって真面目に、私が手抜きした場所にまで丁寧に灯りを当てて、物陰を覗きこんでいた。
「あの・・・そんなに、真剣に探さなくてもいいですよ」
 なんだか、申し訳が立たない気持ちから出た言葉に、希は不思議そうな顔で応じる。
「でも、惹かれあった結果として、一緒にこの空間に来たのでしょう?」
「事実としては、そうですけれど・・・私はまだ、由良を友達とは認めていないから・・・」
 こんな言い方をするなんて、私らしくない。まるで、ただの意地っ張りみたいだ。しかし、希は何かを感じ取ってくれたのか、穏やかに言葉を継いだ。
「今まではそうでなくても、これからお友達になれるかもしれませんよ。純理さんにも、由良さんにも、未来は等しく可能性を与えてくれるでしょうから」
 私は、希の言葉に反論できなかった。未来のことなんて、誰にも分かりようがないのだから。しかし、その代わりに、私達は未来を思うがままに描くことが許されている。どれほど小さな可能性であっても、現実と等しいだけの重さをもって、扱うことができる。私は、心の赴くままに、一つの絵空事を心の内に描きたくなった。
「もしも、そんな時が来るとしたら・・・いつかは希も、私や楓と、本当の友達になれる日が来るのかも・・・」
 しかし、希は、私が思い描こうとした空想を、即座に遮った。
「止めて下さい。私は・・・あまり詳しいことはお話できませんが、他の方々とは、生き方も、やがて訪れるであろう運命も、大きく異なっているのです。それ故に、私は、この地において、いかなることがあったとしても、人と情を通わせるようなことは、あってはならないのです」
 見えない境界の暗示。希を囲んでいる断層の底知れない深さに、私は、気が遠くなりそうになる。そんな、内心の動揺を見透かしたように、希は更に追い打ちをかける。
「そのような夢を見たところで、いつか夢から醒めた時に、つらい思いをするだけです。そうなる事が分かっているからこそ、私は、こうしているのです」
 こんなにも近くにいるのに、越えられない壁。目の前にいる希が、遥か、遠くに離れた存在であるかのようにまで感じられる。
 しかし、私はなお、希の深い翳りの中にある、孤独な影を呼び止めようとしてしまっていた。
「けれど、少なくとも、私と希はこうして言葉を交わすことが出来ています。この夢だって、いつかは孵化することだって――」
「止めて下さいと・・・言ったはずです。これ以上、言葉で私の心を切り裂こうとするのは」
 私はそれっきり、何も言えなかった。耳の奥で、希の心が軋んだ音を聴いてしまったような、気がしたから。これ以上、希を追い詰めようとすると、取り返しのつかないことへと繋がっていってしまいそうな、悪寒が走ったから。
 希もまた、踵を返すと再び通路の奥に向かって歩んでいく。慌てて希の後に付いていく私に、背中越しの言葉が、ふわりと与えられた。
「夢に裏切られた人は、やがて、夢を憎む人へと変わってしまいます。仮に信じたところで、それは、不幸な結果しか招かないのです。しかし・・・そのような偽りの夢も、一時の気休めくらいには、なるのかもしれません」
「え・・・・」
「願うだけなら、願ってもいいのでしょう。希望するという行為を通じて、束の間であっても光陰が輝くというのなら――私もまた、多少なりとも救いがあるのかもしれません」
 その時の私には、希が本当に伝えたくて、しかし、伝えることが出来なかったものの正体を、窺い知ることはできなかった。私は、今でもときおり考えることがある。ここで、希の本当の思いに気づくことが出来たなら、希との関係は、もっと違った形として、結末を迎えることもできたのかもしれないと。

 いよいよ日が完全に沈み、白梅寮もまた、宵闇に包まれる。手元の一燈だけではいよいよ、危なっかしく思えてきた。しかし、ちょうどそう思ってきた時、廊下や柱から、ひとつ、またひとつと、何かが淡緑色の光を放ち始める。ほどなく、歩くには困らない程度に、照明が確保されるに至った。
「この光源って、もしかして・・・」
「はい、改良蛍石(フローライト)です。もともと白梅寮には無かったものですが、不便だからと、美月(みつき)さんが構成して下さりました」
 私は、驚きを隠せなかった。こんな、設備も無い場所で、化合物を一から構成する為には、従来は顕在しないと考えられてきた力、統一力を、熱交換のエネルギーとして発現せしめる鍵となる幻の方程式、『聖式』に関する理解が多少なりとも必要で、それを物質の構成や加工に応用する技術は、想天界の中でも一握りの技術者にしか、継承されていない。そのうえ、一旦構成した結晶構造を改変して、しかも、発光効率を桁違いに向上させるといった高度な仕事は、不完全な理論の不完全な応用では到底不可能だと聞いている。おそらくは、希が言及した美月という人も、私達と同様、多少なりとも、標準的な規格から外れた人間なのだろう。
 ここで不意に、ポケットの生徒手帳が着信を伝えてくる。外部との交信が途絶していることから、一度は無用の長物になりかけた手帳だけれど、楓が制服と一緒に持ってきていた、もう一台の手帳と通信可能であることが分かってからは、唯一の通信機として、その役目を果たしている。
『月見台にて、由良ちゃんを保護。ついでに会わせたい人もいるから、来てくれないかな?』

 希が案内してくれた月見台というのは、白梅寮の中でもひときわ広い縁台から外部へと張り出した場所で、宴席としてだけでなく、ひとつの舞台としても使えそうな、広大な露台のことだった。その手前にある広縁で出迎えてくれた楓が指差した先には、台のちょうど中央あたりに腰を掛けて寄り添う、二つの影。
「希ちゃんも、お手伝いしてくれてたんだ。ありがとねっ♪」
「・・・純理さんと、由良さんの為です」
 言うなり、すぐにそっぽを向いてしまう希。楓と希の関係は、あまりうまくは行っていないように見える。でも、私には、希がただ感情的に楓を嫌っているようには見えない。
 私が最初に出会った時の、希の瞳は、殆どすべてのものを包みこんで受け容れる、まるで、蒼海のような印象だった。しかし、今の希には、どこまでも深い部分、私なんかには、決して触れさせないほどに深い奥底の部分に、不可視の隔壁が設けられてしまっている。希と楓のあいだに、何があったのか、私は知らない。けれど、いまここで二人の間に首を差し入れるのは、賢明な選択ではないような気がした。
「さっそくだけど、楓が私に会わせたい人って――」
 私の問いに応えて、楓は月見台がよく見えるように半身を開く。先刻から、由良の隣で話し込んでいたのは、乳白色を帯びた翡翠色の髪留めがひときわ目を引く、半袖の着物に袖を通した、やや長身の女の子だった。澄んだ瞳で遠い空に浮かぶ月を楽しげに眺めている表情は穏やかで、均整の取れたしなやかな肢体からは、節制の末に磨き上げられた身体美が感じられる。
「射月(いづき)きくなちゃん。本職は踊り手なんだって」
 名前を呼ばれたことに気付いたらしく、きくなは由良の頭をひとつ撫でたかと思うと、すっと立ち上がって、私達に向かって一礼する。
「星奔純理さんね。あたしは名前で呼んでくれていいよ。袖触れ合うも他生の縁、いつ帰るのかは分からないけど、今は楽しくやっていきたいな」
 さっと差し出されたきくなの手を握ると、なぜか気持ちがすっと軽くなる。私も、きくなにつられるように、胸のうちを素直に口にしてしまっていた。
「こちらこそ、春に酔い迷い、帰る路すらも判らない身ですけれど、よろしくお願いします。これからは、私のことも名前で呼んで下さい」
 お互いに、分かっていた。いつまでも、永久に続く関係なんて、存在しないということを。しかし、せめて別れの時が訪れるまでの間は、友達でいたいと思った。にぎった手の温もりを、覚えていたいと思った。

 同時に、私はやるべきこともしっかりと覚えている。私の精神的安定と倫理的問題のため、どさくさに紛れて背中から腕を絡め、顔を埋めている由良の頭に制裁を下す事ができるのは、この場で私しかいない。さすがに、由良も、私が本気で怒っていることは理解できたらしい。ちょこんと、おとなしく私の前に座った。
「・・・・心配かけちゃって、ごめんね」
 心配なんて、していない。勝手にいなくなったりして、みんなに迷惑を掛けたことが、許せなかっただけ。私は、由良の首根っこを摘むと、楓と希のいる方に、くいと突き出した。
「私はもういいから、手分けして探してくれた楓と希と、小里さんにもしっかり謝ってね」
 言い捨てると、私は、胸の奥のもやもやした何かを引き摺りながら、月明かりが当たる場所まで歩いていく。何かを振り払うように、頭をぶんぶんと振って、頬をぺちっと叩いてみて、視線を下に落とした時――目の前に広がっていた、満天の星空。
『道に迷ったなら、星を観ればいい。それらは輝きの数ほどに、多くを教えてくれるだろうから』
 ささめく水面の星空から浮かんできたのは、記憶の底に埋もれていた言葉の一節。こんな、感覚的な詩句にはおそらく深い意味なんて無い。それでも、逆さに映った星空の鏡像は、私の憂鬱な気持ちを、1㎎はすくい上げてくれたような気がした。
「水面の月に想いを巡らせる・・・そういう事に意味を見出せるのだったら、ここでもうまくやっていけるよ」
 物思いに耽っているあいだに水際まで来ていたのか、小里さんが二、三歩くらい離れた位置から声をかけてくる。音も無く、いつの間にか現れている彼女もやはり、どこか特別な存在であるような気がする。
もしも、私達を絡め取っている運命の線があると仮定したら、小里さんは、おそらく、その結び目から最も近いところにいる。何よりも、そのことをまず訊きたいと思った。でも、私の気持ちを察していないのか、それとも、察したからこそなのか、期待していたような話を訊くことは出来なかった。
「初めてのことばかりで、気になってることも多いと思うけど、今日のところはゆっくり休むといいよ。鶺鴒(せきれい)の間に亜実ちゃんがお布団とお夕飯を用意したから、お膳を廊下に出したら、そのままお休みしていいからね。楓ちゃんは、二人のお世話をお願い。お風呂はもうすっかりぬるくなっちゃってるから、入ってもいいけど、風邪ひかないように気をつけてね」
 それから、私達は素直に用意された夕食を取り、布団を並べて床に就いた。寝ぼけて、私の布団に転がり込んできた由良も、枕を身代わりにして、それに抱きつかせることで解決できた。
 平穏な、月明かりに満ちた夜の部屋。しかし、私はいつまでたっても、寝付くことができなかった。白梅寮のこと、みんなのこと、私と由良が一瞬でも惹かれあった理由、私達が消えた後の、外の世界のこと。次から次へと、疑問が浮かんでくる。
 帰れるのか、帰れないのか。帰れるとしても、何時のことになるのか。結局のところ、私は何がしたくて、何を求めているのか。考えることはたくさんあっても、ひとつとしてまとまらない。じっとしていると、余計に不安になる。とうとう、耐え切れなくなった私は、こっそり布団を抜け出して、縁側に出た。
 どうして、こんなにも不安なのだろう。さびしいと、思ってしまうのだろう。つい昨日まで、私は一人だったはずなのに。最適化の名の下に、あらゆるものが均一化されてしまった、そんな色褪せた世界になんて、何も求めてはいなかったはずなのに。
 私自身のことなのに、自分で自分が解らないという事実。生まれて初めて感じる感覚に、私は恐怖を覚えることしかできなかった。
 どれくらい心惑い、悩んだだろうか。私の背後で、静かな音を立てて障子戸が開くと、楓が上半身だけを出して、私の顔を覗き込んだ。
「純理ちゃん、眠れないの?」
「見ての通り、眠れないから起きているの。そうでなくても、心の準備も与えられないままに、いきなり現実離れした異郷へと放り込まれたら、普通の人なら、いつ発狂してもおかしくないと思うけどね」
「そうだね・・・。私も、『もう一生、万福屋のさくらもちが買えないのかもしれない』って知った時には、かな~りショックだったもん。だから、純理ちゃんの気持ちだって、私にも、ちょっとはわかるよ」
「どうして、何でも、さくらもちに引っ掛けるのかな・・・さくらもちより、氷砂糖だよ」
「氷砂糖より、さくらもちだよぉ。氷砂糖も甘くておいしいけれど、さくらもち宇宙一の座は、譲れないからね」
「・・・不毛な議論になりそうだから、やめようよ。私も、楓も、この一点に限っては、おそらく、一生わかり合えないように思えるから」
 一定の相互信頼があるからこそ交わされる、本音の入った、しかし、全然中身のない議論。私が思わず苦笑すると、楓は妙に楽しそうな笑顔で応じてきた。
「どうして、そこで急に笑ったりするの?」
「ふふ、純理ちゃん、今日出会ってから、はじめて素直に笑ってくれたね。私も、なんとなく嬉しくなっちゃって・・・」
 会話の内容自体は、他愛の無いものだった。それでも、話をしていくにつれ、少しずつ心が軽くなっていく。たとえ、一時の気の迷いであったとしても、今はただ、楓の声を聞いていることが、嬉しかった。
「夜風はまだ冷たいから、続きは、お風呂で話そうよ。純理ちゃんは、ここのお風呂は初めてだろうから、ついでに使い方も教えてあげる」

 照明が少ないのは、湯殿も同じだった。ほのかに灯された明かりに浮かび上がる湯気と、楓の白い裸身。幻想的な雰囲気の中、私は楓に教えられるままに背中を流しあって温い湯を浴びると、小さい湯溜を共有して、二人で半身ずつお湯に浸かった。
 じんわりと肌から滲み出る汗を流しながら、私は、ひとつだけ、楓に訊ねておきたいことがあることを、思い出していた。
「楓と希って、どんな関係なの?」
 月見台で希が見せた、強く、冷たく、寂しい瞳の理由。楓がそう簡単に教えてくれるなんて、私も思ってはいなかった。けれど、何も知らないまま、二人と一つ屋根の下で時を過ごすのは、事実がどうであれ、気乗りのするものではなかった。
 私も楓も、それきり一言も口にしない。かすかな水音と湯気だけが、湯殿の空気を支配する。
 しだいに、全身に血が巡って疲労がほぐれてくる。
 やがて、持ち込んだランプの灯が落ちて、廊下と同じく、蛍石の薄明かりが、これに取って代わっていく。
 それをきっかけに、私は、この話を訊くことを諦めることにした。言えないほどに深い事情なら、私が知ったところで何も変わることはないだろうし、話したくないことを、無理に吐き出させるのも、感情的に嫌だったから。
 結局、私はそのまま湯溜を出て、上り場へと向かう。
「言えないのなら、言わなくてもいいよ。私は、もう上がるから・・・」
「・・・・希ちゃんと私は、遠い親戚どうし、といったところかな」
私が足を止めたのを感じ取った楓は、さらに話を続ける。
「希ちゃんは、私達との誰とも仲良くなれない――なってはいけないと、教えられてきたんだよ。何よりも大切だって考えられてきたもの、代々受け継いできた遺志を、守るためにね」
「誰とも・・・、楓だけじゃないということは、私や、きくなや、由良に対しても、楓と同じような理由があるということなの?」
「そう。たとえ、私達の誰かが希ちゃんの傍らにいることを望んで、仮にそうできたとしても、希ちゃんとおんなじ道を歩むことはできないの。私と希ちゃんの間には、なおさら」
 私が上がった後になっても、お湯に浸かり続けている楓の表情は陰になっていて見えない。けれど、声を聞くだけでも、容易に感じることができたから、私は楓にかける言葉が見つからなかった。
「でも、私と希ちゃんの関係とは違って、純理ちゃんと由良ちゃんには未来がある。お互いに見つかっていない可能性だって、いつかは見つかるかもしれない。だから、純理ちゃんには、由良ちゃんのことも、それなりに大切にして欲しいかな」
 浴衣に帯を通してしばらく待った後に出てきた楓は、いつも通りの笑みを取り戻していた。床に就いてから間もなく、楓は、すうすうと寝息を立てはじめる。そして、私は、枕を抱いて眠る由良の寝顔をぼんやりと眺めながら、さっき聞いた言葉を繰り返し思いかえしていた。

「私にも、由良にも、未来はある、か・・・」
 異郷の地には、遥か昔、数千年にも及ぶ歴程の中で置いていったもの、失ったはずのものが、溢れそうなくらいに残されていた。そして、明日の行く先さえも分からなかった長い一日は、大きな不安と、楓から貰った一粒程度の希望を抱きながら、過ぎていった。





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