Lunatical life in broad daylight
へにょ~~~…… リ ツ 。ヮ ツ。
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ゆらめきのプレリュード⑤
 第五章 にじんだきもち

 白い花、白い木々、白い道、白い霧。鈍色(にびいろ)の空は、幽(くら)い影を落とし、喪われしものたちを、無言の内に見下ろす。
私は、重い荷を引き摺っていた。許されざる者に会う為に、生命の凍てついた、春の小路を往く。
『来てはいけないと、申し上げたはずです・・・』
 無機質な声の主は、まだ、辛うじて人と呼べるのかもしれない。本当に感情が消失していたのなら、私の姿を目にしたところで、けっして語りかけようとは思わなかっただろうから。私のことも、純粋に単なる物体としてしか、見做さなかっただろうから。
 希の足下に散らばっているのは、五体がばらばらに壊されたまま、無惨に散乱している機械仕掛けの部品。ギア、フレーム、他にも、外形を構成しているパーツが幾百も、破壊者に沈黙の咎めを放ち続けている。私は、引き摺ってきた荷の中身を投げ出すと、右手で握り潰すくらいに強い力で掴んで、前に突き出した。
「戻してよ。何もかも。その手で壊して奪ってしまったものを・・・それすらも出来ないっていうのなら、私は、希を許さないから・・・」
 噴火寸前の地鳴りのように、声が震えているのが、自分でもわかる。握り締めた部品の角で手の皮膚が裂けて、傷口を伝う赤い糸が、制服の袖口を、紅く染め抜いていく。
『救済の真似事など、求めてはいません。私は、許されざる者に、赦されざる裁きを下す者として、奈落に落ちる道を選びました』
 私は、さらに一歩を踏み込もうとして・・・躯の中で、砂粒を噛み砕いたような、耳障りな音が反響するのを感じる。いつのまにか、あらゆる関節に楔が打ち込まれてしまったように、全身が動かない。
『あなたも所詮は不完全な部品。適正品(マスターピース)たりえぬ存在は、ことごとく破壊します』
 擦りガラスのように光を喪った目に見つめられ、声をあげる事すら出来なくなった私の喉に、白磁のように冷たい手が食い込んでいく。暗転、そして、終末――


 亜実が、お気に入りの人形を着せ替える時のように、しっとりとした笑みを浮かべながら、制服のタイを結びつけている。そして、両脇と腰に手を回して身体を支えているのは、着替えと身だしなみを既に済ませている、楓と由良。この状況において、私が「自分が寝床から引きずり出されて、無断で服を着替えさせられていた」という事実を正確に把握して、反応を起こすまでに要した時間は6.3秒。
「おはようございます、純理様。お急ぎにならないと、お吸い物が冷めちゃいますよ」と亜実。
「という訳で、おねむな純理ちゃんには、罰ゲームとしてきせかえの刑なの♪」と脇を持つ楓。
「このスカート、ちょっときついかも・・・氷砂糖、半分は没収しちゃうよ?」と腰を支える由良。
「私の寝間着よりも先に、自分達の良識から着せ替えたほうがいいんじゃないっ!?」
 ある意味、こっちの方が、希に殺される夢よりも恐ろしい体験だったかもしれない。しかし、全身を冷やす汗と、胸の中でなお拍動を続けている心臓は、夢郷の死を鮮明に想起させるには、充分過ぎるほどのものだった。
 もちろん、現実の希は、物静かな優等生といった感じのイメージが強い子で、私が知る範囲では、希が生物を殺す場面には、一度も遭遇した事が無い。フリルをあしらった群青の服に、小さなバスケットを携えて、物思いに耽りながらシャボン玉を飛ばしたり、木陰や川沿いで、詩集を開いたり、時には、軽く川面の水に思いを巡らせていたりして、日々を過ごしている。
 少なくとも、何か特殊な事情があるか精神を患ってでもいない限りは、とても周囲の人間を手に掛けるような子だとは、思えなかった。
しかし・・・もしも、希の心の中に、万一にも、『それ』が潜んでいたとしたら。
 仮想と仮定が結びついた瞬間、具体的な恐怖が結実する。しかし、この非理性的で、有害な感情を取り除いてくれそうな心当たりも、幸いなことに、私のすぐ身近にあった。

「希ちゃんが、みんなを壊して、最後に純理ちゃんを壊す夢を見た・・・?」
 訊きかえした楓の声音は、流行レポートの最新記事を教えられた時のそれと、寸分も変わらない種類のものだった。話を聞いている間も、私が記憶に残していた情報を、伝え終わった後にも。
 午前中の予定を早めに片付けた私は、以前、希について会話を交わしたことのある楓を外に連れ出して、二人きりになってから話を打ち明けた。花曇りの空は憂鬱な影を落とし、名前を知らない雑多な草花が声を潜める中、密やかに言葉を交わす。
「思ったよりも驚かなかったということは、事実の断片くらいは、含んでいるんだね」
 私は、普通なら夢のことなんて信じたりはしない。こんな話を楓に打ち明けたのも、本当は、否定して欲しかったから。しかし、私の期待に一から十まで沿ってくれるほど現実は甘くないらしかった。楓は、あごに人差し指を当てて3秒だけ考えると、珍しく思案顔で質問してきた。
「純理ちゃんは、希ちゃんの為に命をかけられる? そうでないなら、忘れていいよ」
 まるで、オーダーでも取っているかのような口調だったけれど、即答なんて出来る訳が無い。答えられない私に、楓は穏やかな口調で、話を続けた。
「よく考えてから、決めて欲しいな。純理ちゃんが、今という時間の希ちゃんを好きになってくれているのなら、なおさらね」
 そう言うと、楓は、握りこぶしを作ると、季節はずれに咲いた向日葵みたいな笑顔を見せる。
「純理ちゃんが見た夢が、正夢になるかどうかは、たぶん、希ちゃんにも解ってない。でも、ずっと前から、私は一人で希ちゃんを見守ってきたの。いつか時が来て、純理ちゃんが今日の答えを教えてくれるその時までは、安心していても大丈夫だよっ♪」
 どちらともなく、踵を返して白梅寮へと歩いて帰っていく。帰り道、ちょっとだけ肌寒さを感じた私は――これが、花冷えというものなのかと、思った。

 じっと目を閉じていると、砂時計の音色が聴こえてくる。
 無味乾燥した時の砂塵が、残された時間を埋めていく。
 忘れるか、忘れないか。引き帰すか、前に進むか。
 命を賭けてでも踏み込むという行為の意味を、私は、本当に理解しているのか。
 極端な話、真の解答に到達できない問題なんて、求める意義は無いのかもしれない。
 コインで決めてもフィフティ・フィフティで最適解に行き着く、単純な二択問題。
 しかし、選択後にも、正解は決して表示されない。
 循環計算。不可能問題。
 不確定な未来への恐怖。
 無為に巡っていく思考の中で、進んでいく時針。
 焦燥感。抑圧感。
 とうとう、じっとしていられなくなった私は、全身の力を込めて立ち上がった。

「こんな非理性的な問題、解ける訳がないじゃない! もっと、定量的とまでは言わなくても、定性的に評価できる方法にしてよ!」
そして、最後には癇癪を起こす・・・・自己嫌悪。
 感情的になったところで、選ぶべき道が、解るわけじゃない。知識と理性の一燈をもって、不確定な世界の中で目指すべき針路を伝える。それが出来ると信じていたから、私は星を見る術を知り、科学や数理を修める為だけに構成された生活にも、ずっと耐えてきた。それなのに、今の私は、自分一人で下すべき決定の一つでさえも、決めることができないでいる。
「どうしたの、純理? そんな風に、かぁってなってたら、わかるものだって、わからなくなっちゃうよ」
 ちょうど庭の掃き掃除をしていた由良が、ホウキ片手に覗き込んでくる。私が悩みを抱いている一方で、いつもと変わらない日常が、何事も無かったかのように続いているのもまた、事実だった。
「なんでもないっ・・・・これは・・・一種の発声練習よ」
「おかしいよ。こんなの、いつもの純理じゃない」
「本当に、なんでもないってば」
「本当に何でもない時には、『なんでもない』なんて、言わないよ」
「そこまで分っているのであれば、先の発言が『由良には話したくない』という意味も兼ねているという事も含めて、理解してくれない?」
 ただ、貧困な語彙で強がることしか出来なかったけれど、心の底では、嬉しかった。傍に、見守ってくれる誰かがいるということは、幸せである一つの証だから。しかし、例え信頼していたとしても、話すべきではない事柄だってあることを、私は知っている。少なくとも、私の倫理観においては、不確定かつ未確認の情報を、むやみに広げたりするようなことは、罪悪に他ならなかった。
 そんな、私の気持ちも知らずに(知らせる努力もしていないけれど)、由良は、自分が仲間外れにされたかのように、むぅと頬を膨らませてしまっている。
 こんな子供っぽい子に対して、どうして、私は惹かれてしまったのだろうか。あらためて、疑問に思う。しかし、私がどんなに強がってみたところで、由良が私の唯一無二の天敵として存在しているという、厳然たる事実は、決して覆すことができない。いかなる状況であったとしても、身体的接触を受けてしまった時点で、私の敗北が約束されるから。
「どうしても、意地悪して教えてくれないっていうなら・・・・今夜は、純理の布団の中に潜り込んで、朝までずぅっと遊んじゃうんだからっ」
 この、私という人間の尊厳を否定し尽くしたかのような発言を前に、理性の天秤は支柱上皿もろともに、叩き壊された。
「・・・ちょっと悪い夢を見て、考えごとをしていただけ」
 無言のまま、心の奥をのぞき込むように、じっと見つめられる。その瞳は、『まだ、何か隠しているよね』と、語りかけていた。
〝・・・・・そんな目で見るのは、やめてよ〟
〝だって、気になるんだもの〟
 視線で会話が成立している。
〝由良には、関係ないんだってば〟
 私の発したシグナルに、由良は、ゆっくりと首を振った。
「ちがうよ。わたしと純理は、関係ないんじゃなくて、これから、関係していくことになるの」
 由良は、私の手を引き寄せると、自分の薄い左胸にぐっと強く押し当てる。ややあってから、布地越しに感じる体温と質感。さらに、身体の中心から伝わってくる心臓の鼓動が、微かに、掌に伝わってくる。
「・・・・何なの、これ・・・・」
「これが、わたしと純理をつないでいる運命の絆。二人は同じ時を刻んで、紡いでゆく関係に、これから変わっていくの」
 規則正しく脈打っている心拍。それ自体は、当たり前のことだ。私が言葉を失った理由は、まるで一つの身体を共有しているかのように、由良と私の脈拍が全く誤差の無いタイミングと周期で同調しているから。
偶然とみなすにしては、あまりにも確率が低すぎる。それに、これが仮に偶然であるという可能性を考えてみても、私の身体や精神が、由良の存在に対して、過剰なまでの反応を示している理由についてまでも、根拠を持たない『偶然』で片付けてしまうようでは、もはや推論の体を成してはいない。
 私は、戸惑いを感じながらも、由良の方へと身を乗り出していった。静かに、しかし確実に高鳴っていく心拍数を共有しながら、お互いの息がかかるくらいの距離に近づいてゆく。
「教えてよ・・・私、もっと由良のことを知りたいの・・・そして、私自身のことも・・・」
 数秒にも、数十秒にも感じられる持続の後、穏やかな笑みを浮かべていた由良は、ゆっくりと、うなずいた。そして――
「――ゃっ・・・・!」
 開け放していた戸の向こう側から、小里さんが、頬を朱に染めて、その様子を見つめていた。由良の胸に掌を押し当てながら、密着寸前まで身体を寄せている私と、私の為されるがままに、身体を預けている由良。この情景は、小里さんの回路にスイッチを入れるには、条件を完全に満たしていた・・・ようだった。
「もしかして・・・・お姉さんって、ものすごくお邪魔だった・・・・かな」
 白と黒を基調とした清楚な服装も、身体の隅々まで紅潮した肌を隠す機能までは、備わっていない。火が点いてしまった姿態を、ありあわせの努力で繕っているけれど、そんな小里さんの新たな一面に対して述べる資格を失っている私は、その、嬉しさをにじみ出している姿を、いつまでも観察していることしか出来なかった。
「純理ちゃんと由良ちゃんって、ホントはすごく仲良しさんだったんだね・・・・いつも気を失っていたから、苦手だと思ってたけど・・・ちょっと、びっくりしちゃった―――きゃっ!? 純理ちゃんから、噴水みたく血が噴き出して・・・・そんな、愛する由良ちゃんの前で、息を引き取っちゃうなんて、お姉さんが許さないんだから・・・っ!」
 言われなければ、意識せずに済んだかもしれなかったのに。霞んでいく意識の中で、私は、自分が倒れている姿と、私の身体を勝手に抱いて、勝手に泣いている小里さんの図を、哀れみに満ちた目で俯瞰していた。

「・・・こんなに、むずかしい話なら、頭の良い純理でも困っちゃうんだね」
 濡れたハンカチを額の上に乗せた私の話を聞き終わった由良は、ちょっと不思議そうに私を見つめて言った。
「あいにく、私は高校生以上美月未満な程度に科学や数理に通じたついでに、土木・建築学を修めただけの小生意気な16才で、こういった不確定要素だらけの問題を、哲学的、蓋然的に思考して解決するような能力は、現時点では持ち合わせていないの」
 私は、自分が決して明晰でも、賢明でもないと自覚している。しかし、期待を裏切ってしまったという点では、少し失望させてしまったのかもしれない。ちょこんと座っている由良の隣では、小里さんが、物思わしげに斜め座りをした姿勢で、私達を見守っていた。
 無音のさざ波の中、重く粘性を帯びた時間が流れていく。中途半端な言葉を口にする気にもなれなくて、誰かが答えを教えてくれることも、私は望んでいなかった。
 私は、じっとしているのが怖くなってきて、いつも持ち歩いている手帳を手にしようとした。それは、わずかながらも、本来の居場所と私を繋いでいる、数少ない接点だったから。しかし、肌身離さず携帯していた筈だったそれは、制服ごと、私の身から取り外されてしまっていた。
「私の手帳と制服、どうしたの・・・?」
「血がたくさん付いちゃったから、亜実に洗ってもらってる。明日の朝までには多分乾くから、それまで、別の服で我慢してね」
 亜実、ちゃんと正しい手順で染み抜きしてくれてるかな・・・どちらにせよ、本来必要無い仕事を押し付けてしまったことについては、後で亜実に謝っておこう。それに、今の私が一番気にするべきことは、服の好みではないのだから。
「別に、ちょっと時間を見たくなっただけだから、気にしないで・・・」
「純理って、時計が好きなんだね」
「好きとは少し違うけれど、時々見ていないと、落ち着かないの。そうしていなければ、私が今どこにいるのか、わからなくなっていくような、そんな感覚を覚えてしまうから・・・」
 手持ちの生徒手帳では楓としか通信できないと分ってからも、私は時間を作っては、周囲のいろいろな場所や条件下で、外部との情報交換を試みていた。
 在るべき場所から切り離されて、自分が立っている場所が何処であるかすらも判断できない状況。一生を、此処で無為に終わるのかもしれないという不安。浮き草のような環境にあって、なお私という存在の所在を指し示してくれている、最後の指標――それが、時刻だった。私と由良が接触した、『9時02分』という時間座標との差。それだけが、私と外の世界のあいだにある距離を示す基点であり、拠り所だった。
「聞いてくれたら、いつでも教えてあげる。いまは・・・純理が倒れてから、ちょうど79分が過ぎたところだよ」
「そんなこと、由良に分かるわけがないじゃない。由良は、時計なんて持ってないんだから」
「無くたってわかるの。だって、わたしの特技だもの」
 得体の知れない同調を見せつけられたかと思ったら、今度は絶対時間感覚。あとどれくらい引き出しが残っているのかは知らないけれど、その辺りの事情については、後からゆっくりと教えてもらえばいい。いま考えるべきことは、むしろ私自身の選択する方向だった。
「・・・希ちゃんを見た夢の記憶、純理ちゃんが望むのなら、お姉さんが全部消してあげる」
 一瞬、何を聞いたのか理解できなかった。振り返った私に向かって、小里さんは、もう一度言い直す。
「私は、純理ちゃんが朝から経験した記憶を消去することができる。純理ちゃんが望むのなら、みんな無かったことにして、何も知らなかった頃の日常に、帰してあげる」
 そんな提案を受け容れるなんて、単なる後退以外の何物でもない。目の前にある問題を抹消して、拒絶したという事実すら忘れてしまうなんて、停滞にすら劣る生き方だと思う。しかし、今の私には、否定するだけの気力も、乗り越えるだけの自信も、残ってはいなかった。
「忘れたって、いいんだよ。もともと、希ちゃんと楓ちゃんの間の問題なのだから、無かったことにしたところで、誰も純理ちゃんのことを責めたりはしない。それに・・・答えの出ない問題で、純理ちゃんが悩み苦しんでいる姿なんて、お姉さんは、もう見たくない」
 おそらく、本気で言っているのだろう。私が一人で答えを出そうとしていることも、しかし一人では結論を出せないであろうことも、二つとも見抜いている。だからこそ、小里さんは、私が一番楽になる選択肢を提示してくれた。
「うん・・・・・考えてみる」
 出口の無い迷宮に閉じ込められた時の息苦しさは、経験した者でなければ、決して分からない。他人からは言い訳じみているように思われるかもしれないけれど、こんな、最悪にも近い選択肢すらも、可能性のひとつとして検討しなければならないくらい、私は答えに窮していた。
 いま、ここで小里さんに一言願いさえすれば、私は、この苦しみから解放される。しかし、そう分かっているはずなのに、胸の奥で次第に増していく痛みは、更に大きく、深く刺さっていく。細く、見えない心の棘が、私から、最善の言葉を封じ込めた。
 まぁ、仕方ないか、といった感じに苦笑すると、小里さんは、そのまま席を立つ。
「悩むことができるっていうのも、もしかしたら幸せなことなのかもしれないね。心が決まるまで、待っていてあげるから、純理ちゃんの気が済むまで、思いっきり考えて、悩んでみるといいよ」
 と、部屋を半歩踏み出したところで、小里さんが、再度振り返る。
「純理ちゃんは気付いていないのかもしれないけれど、『自分が助かることが最優先』とか、『どうやったら、リスクがゼロになるか』なんて考えていたら、答えなんて一生見つからない。これだけは、心しておいてね」
 心の裏側まで、見透かされたような心地だった。いつの間にか、私の思考の大半を侵食してしまっていた醜い打算が、寸鉄で裂かれた傷口から、膿のように流れ出てくる。

 Ⅰ.私は、できることなら自分の命なんて賭けたくない。
 Ⅱ.これ以上、希に関わらなければ、そのまま何事も無く過ごしていけるのかもしれない。
 Ⅲ.しかし、私が関わらなければ、もっと危険なのかもしれない。
 Ⅳ.それを判断するには、楓から、もっと詳しい事情を聞き出す必要がある。
 Ⅴ.楓は、情報提供の条件として、希のために命を賭けられるだけの覚悟を要求した。
 Ⅵ.Ⅰ.に戻る(無限ループ)

 もともと、循環から抜け出す終了条件が設定されていなかったのだから、ループを止めて、解を導くことなんて永久にできない。私は、無意識に作った鳥篭の中に自分自身を閉じ込めて、形ばかり自由を求めている、臆病な小鳥に過ぎなかったんだ。
「由良・・・・、地に墜ちた小鳥は、どうなっちゃうのかな」
 絞り出した声は、かすかに震えていた。
「怖いよ・・・気がふれてしまいそうなくらいに・・・・、このまま、身動きできないうちに運命に踏み潰されると思うと、身体の震えが、止まらない・・・」
 精一杯の強がりも、もう限界に来てしまっていた。取り繕いようもないくらいにひび割れてしまった心から、剥き出しの心情が滲み零れていく。
「どうしたらいいの・・・・先に何が起こるかわからない。道標も、ひとつも見つからない。その中にあって、まるで、私やみんなの命を賽の目に賭けるような感覚で、道を選ばなければならない。仮に、その権利が私にあったとしても、全ての結果と責任を受け止めて生きていく自信なんて、私には――」
 そこまで口にしたところで、背中を包み込む感触が、次の言葉を塞ぎ止めた。
「結末が分らない道を選ぶのが怖いのなら、純理が行きたいと思った道に、どこまでもついて行ってあげる。迷うときがあっても、辛いときがあっても、わたしが、ずっと純理の傍にいてあげるから・・・」
 私の背に綿入れを掛けた由良が、静かに、ゆっくりと身体を預けて語りかけてくる。厚手の布一枚を隔てた向こう側から伝わってくる優しさが、壊れそうになった心を包み込んでくれる。いつもなら、振りほどこうとしている筈なのに、不思議と、逃げようとは思わなかった。
「どうして・・・由良は私をそこまで信じられるの。本当の私がこんなにも惨めで弱いことを知ってしまったのに、どうしてそれでも私の傍にいるっていうのっ!?」
 喉の奥に詰まっていた悔しさと苛立ちと絶望が半滴の涙と共に爆発する。それでも、由良は回した手を離そうとはしなかった。負の感情の嵐を受けながら、伝えるべき言葉を口にする。
「だって、純理には、みんなを導いていける力があるもの。無限に広がる闇のなかにあっても、自分の立っている場所を見極めて、進むべき針路を選ぶことができる。そんな、素敵な力を、純理は持っている」
 この言葉が、思い出させてくれた。私が16年間ひたすらに磨いてきた知識と技術の全ては、決して、無駄ではなかったということを。このような時が訪れても、状況を冷静に判断して、迷ったり、誤った道を選ばないように、教えられたものだったということを。
「もしも、今みたいに、純理が答えを選べなくなった時には、わたしも、その答えを探す旅に付き合うから。わたしは、純理のように難しいことは考えられないかもしれないけど、決して、諦めたりはしないから・・・だから、純理はもう、泣かなくてもいいの」
 泣くことなんて、ずっと昔に忘れていたはずなのに。私は、次第に溢れては落ちていく涙を感じて、温かいと思った。そして、私の心を溶かしてくれた由良の信頼に、出来る限りの力で応えたいと思った。
「うん・・・私はもう、自分の弱さから逃げたりはしない。最善の答えなんて解らないけれど、それでも出来る限りのことを考えて、頑張っていくよ・・・」
 滲んだ気持ちを胸に抱いたまま、私は前に進むことを決めた。
 歩き出そうと決めたことで、これからの私は前にも増してみっともなく迷って、何度も悩み苦しんで、人を傷つけたり、逆に傷つけられたりする。可能性がある以上、それらはいつか、現実になる時が来る。しかし、それが判っていても、予見できていたとしても、私は、一歩を踏み出したいと願ってしまったんだ。





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