Lunatical life in broad daylight
へにょ~~~…… リ ツ 。ヮ ツ。
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ゆらめきのプレリュード⑧
 第八章 ささらよのつき

 永遠の深さを感じさせる夜の闇。天を覆い尽くしてしまった分厚い雲。春の雨は冷たくて、憂鬱な心を重く濡らしていく。霧雨は、全てのものに等しく水分をもたらしていた。朝丁寧にセットしたはずの髪の中にも、もともと湿気っていた制服の内側にも。あらゆる隙間から浸入してくる微細な液滴がじっとりと肌に絡みつく不快感を味わいながら、月見台を目指して歩いていく。単純な歩行動作を繰り返しながら、私は過去の重く憂鬱だった日々を思い出していた。
 何もかもが単調で、無味乾燥だったモノトーンの街を踏みしめていく私。人とすれ違っても、それは興味の対象ではない人の形をした、影のようなものだった。私が、誰も見ていなかったのと同様に、誰も、私に注意を払っていなかった。私は、身の回りにいる人間からではなく、書物の中にしか、人の心や、その動きを感じ取ることができなかったから、周囲にいる人間は、つまらない存在に過ぎなかった。社会に癒着することで自己を抹消した人の形の群れ。誰もが愚かしいと分かっていながら、結局は、最悪の選択肢へと突き進む小動物の群れ。勝手に私の偶像を心に描いて、その虚像としての動作を強要する、鎖で私を縛ろうとするだけの存在。それでも、私は、私として、生きていたかった。それゆえに、私の意識世界において、世界の大半は憎悪する価値すらも感じさせない、無関心の対象に過ぎなかった。
 意識上に、血圧と心拍数が同時に跳ね上がる感覚が訪れる。いつのまにか、由良がぎゅっと私の両腕を抱いて、上目遣いに私を見上げていた。
「どうしたの・・・さっきからの純理、すごくかなしそうな顔をしてた」
「ううん、ちょっと、昔の私の過去(こと)を思い出していただけだから。心配しないで」
 何とか抑え込めるだけの耐性がついてきたおかげで気絶は免れているけれど、相変わらず、由良が至近にいる時には、全身の血液が沸騰しそうになる。最初の頃は、深く疑問を持とうとしなかったけれど、これも、もしかしたら私の心の座にある断片が呼応している結果なのかもしれない。しかし、仮にそうだとしても、過剰反応の対象が由良だけであることについては、説明が付かない。依然として、由良は良い意味でも悪い意味でも、特別な存在だった。
 ありあわせの配慮でつくった微笑はなけなしに近かったかもしれないけれど、誰かのために笑みを作るなどという行為自体が、あの頃なら考えられなかった。そして、私は心の中に持つべき感情を教えてくれた人の為に、行動を起そうとしている。この場所にいるのは、過去の私には見えなかった、血の通った友達と、時の彼方から連綿と続いてきた人々の意志を汲んで、引き継いできた者の末裔だった。
屋根は出ているものの、広縁と月見台は、横からの雨に吹き付けられて、ひどく濡れてしまっている。そんな中、寝室に帰っていた筈のきくなは、広縁の奥にある縁座敷に腰を落ち着けていた。
 一方、きくなの傍らでは、亜実が骨身を惜しまない様子で、いそいそと膳を用意している。膳の中身は、いくつかの小さな杯と乾物を載せた皿だけの、簡素なものだったけれど、こんな夜中に起きだして、しかも、食卓の準備なんてやっている二人の行動に、私は、自分のことをすっかり棚に上げて、訝しんでいた。
「美月の紹介を受けてきたけれど・・・こんな夜中に、何をしているの?」
「お月見の準備です」
 こともなげに答える亜実。
「亜実の言うとおり。あたしは、理詰めよりも重詰めがいいの」
 膳の中に重詰めは入っていないけれど、きくなが言いたいことはなんとなく解った。つまり、私や由良と小難しい議論をするより、今という時間を楽しみたいということなのだろう。
「でも・・・こんな雨の中で月見だなんて・・・」
「純理は嫌いなの? わたしは、お月見大好きだよ」
 訊かれてもいないのに自己主張をする由良は置いておくとして、きくなの行為に関しては、その真意が全く理解できない。しかし、きくなは穏やかな表情のまま、じっと庭先の方を見つめている。
「大丈夫、亜実が晴れるって言っているから、もう少し待てば、月明かりが見えてくるに違いないよ」
 美月が大規模な遠隔操作を行っていることを、亜実ときくなは、まだ知らないはずだった。それにも関わらず、こう自信を持って言い切るだけの確証を、この二人はもう得ている。
「もう少し待てば、空が晴れるって・・・・どうして、そんな未来の事象が解るの?」
「当ててみてよ。純理の時間つぶしにもなりそうな、面白い題材だから」
 最初は断片の能力かもと思ったけれど、美月の話によれば、断片は全てが揃って元の一つに戻った時に、初めて本来の機能を発揮する。不完全な断片を使用したところで、結局は不完全な予測しかできないのは目に見えていた。
 しかも、この環境は最初から特殊な空間で、その上で人工的な操作を受けている訳だから、複雑系としての要素が低減している一方で、好き勝手に気象操作をされている。そんな状況にあるのだから、他人の意図している操作や、力関係の情報が揃っていなければ、予測なんて、殆ど不可能なはずだった。
 しかも、亜実の情報回路はサーバーからの情報を受信するタイプだった。外部との通信ができない閉鎖環境下では、そんな広域の情報収集なんて、出来る訳がない。そうなると、二人に残されている手段は・・・
いまの亜実にできるようなことなら、私にもできるはずなのに。簡単そうにも思えた解答が、なかなか脳裏に現われてこない。しきりに首を捻って考えている私を見かねたのか、とうとう、最後には、亜実が助け舟をだしてくれた。
「『遠くの音が良く聞こえると、雨になる』。遠い先人が残した伝承ですが、科学的な見地から見ても、『湿度が高いと音が遠くまで聞こえる』という空気の性質を踏まえた、合理的な指針と言えるでしょう。私は、別段難しいことをしていたという訳ではなく、ただ『聴覚の感度を上げて、じっと耳を澄ませていた』というだけなのです。要は、湿度の変化を元にして、ほんの少し先の動向を予測しただけに過ぎません」
 ここ最近の破壊的な家事行為が記憶の引き出しを塞いでいたけれど、本来なら・・・任地で身柄を拘束されて、任務を遂行できなくなる以前は、亜実は天象局所属の情報伝達端末として活用されていた。その中で、天象制御が不可能となった廃棄区画を移動しながら、住人と接触していたのだから、このようなな前時代的な知識でも、大いに有用だったに違いない。
 いたずらを告白する子供のようにはにかみながら、種明かしをする亜実。まるきり予測外の答えを差し出されて、あっけに取られている私。その様子がよほど面白かったのか、きくなは、心配になってきそうなくらいの勢いで、盛大に身をよじらせてくれた。
「あはははは・・・・もぅ・・・・・。頭でっかちに考える純理なら引っかかると思っていたけれど、ここまで悩んでくれるなんて、面白い・・・・じゃなくて・・・、嬉しい・・・・」
 さすがに、そこまで笑われると、大抵のことは許せる私も、ストレスが漸増してくる。たったの一回だけとはいえ、まるで見当外れの思考をしてしまったのは事実として認めるけれど、普段から特に物事を考えているという訳でもないきくなに、そこまで笑われたくはなかった。
 私の瞳に宿り始めた、鬱屈の光に気付いたのか、きくなはようやく、芋虫類から人類にまで復帰する。そして、今度はもう少し、真面目に笑って続けた。
「でも、これで分かったでしょ。理屈だけに頼って物事を片付けようとしていると、思ってもいない所で、つまづいたり失敗したりするってこと」
 一番痛いところを突かれては、反論の言葉も出なくなってしまう。私が何も言えずにいると、きくなはまるで世間話でもするかのような気軽さで、自ら本題を切り出した。
「ちなみに、あたしは未来のことなんて考えないよ。どうせ、そのうち分かるんだからね」

 きくなの横顔と口調は、とても穏やかだった。けれど、いかなる暗雲や夜闇をもってしても覆い隠すことができない、独特の燐光を、きくなは持っていた。
 やがて訪れるであろう事象を、自ら変更しようとは思わない。自らの身に降りかかってくる事物の全てを、分け隔てなく運命として受け容れていく。それは、消極的などというものではない、どこまでも超然とした生き方だった。
 生きてきた時間の長さは私と殆ど変わらない筈なのに、きくなは、未来とか希望と呼ばれているものの、殆ど全てを、人生から捨て去ってしまっている。しかし、私には、そんな態度がかえって悔しかった。悲しいという感情以上に、きくなの心の奥底に巣食っている、ある種の絶望の存在が、理由(わけ)も無く腹立たしかった。
「きくなは、先にあるものなんて要らないっていうけれど・・・本当に、何もかも要らないと言い切れるの?」
「そういうのは、もう遠い昔に失くしてしまったもの。あんな思いを何度も繰り返す気には、とてもじゃないけれど・・・なれないよ」
 静かな拒絶。私ときくなは、それきり何も言うことはなく、夜雨の降りしきる風景を眺めていた。
 ひらひら、ゆらゆら。雨に打たれて散っていく白梅の花びら。午後からの風雨で、月見台の舞台の上は、花びらの模様に彩られていた。幹からちぎれた生命の欠片が、つかの間の生命を宿したまま、ささやかに彩を添えている。
「何よりも大切なのは、この瞬間。失うよりも早く、見える全てが楽しめればそれでいい――あっというまに終わってしまう花の命を見届けて、その声に耳を傾ける。あたしは、ずっと、こうやって生きてきたの。とめどもなく過去に飲み込まれていく今という時を、見つめ続けてきたの」
 消えていくもの、失われていくものの記憶だけを、ただひたすらに胸の内に刻み込んでいく。虚無の淵に身を置いて、残された全ての時を捧げたとしても、逝き去ったものは決して応えてくれることはないのに。
「解らないよ・・・・解らないよ・・・・。単なる我侭に過ぎないって自覚しているけれど、それでも、私はきくなにそんな生き方なんてして欲しくない!」
 過去に縛られた『現在』を生きるきくなと、未来へと続く『現在』を生きようとしている私。私達の価値観は、ある意味では直交していた。切なさすらも愛しんでいるきくなの瞳に映っているものは、私の目には殆ど映っていない。逆に、私が見つけようとしているものは、きくなにとって夢か幻のようなものに過ぎないのだろう。そこまで解ってしまっているのに、私は現実を拒否した上に感情に訴えるという卑劣な手段で他人の思考をねじ曲げようとしている。
 きくなに軽蔑されるのも怖かったけれど、それ以上に、私は、自分自身が口にした言葉に、愕然とした。
 ずっと変わることなく生きてきた私が、遂に音をたてて壊れようとしている。いつの間にか変性して、別種の人格に取って代わろうとしている。しかし、私の内面で起こりつつある葛藤など気にしない風に、きくなは、ほんのすこしだけ、寂しく笑って応えた。
「純理も、あたしのことを好いてくれているんだね。亜実と二人になってから、ずいぶん長く旅を続けてきたけれど、同じ事を何度も言われてきたよ。そして、みんな決まって、最後には、こう言うの。『私は、きくなのことが好きだからこそ言っているのに、どうして分かってくれないの?』って・・・友達になろうと言ってくれた子はいたけれど、ありのままの私を、最後まで認めて傍にいてくれたのは、結局は亜実だけだった」
 解答は、こんなにも簡単なものだった。私は、きくなのことを好きだと思っている――そのシンプルな仮定だけで、おそらく殆どの事象について説明することができる。自分と同じ時を共有したいと思っていることも、共通の価値観を要求してしまった過ちも、元をたどれば全て私の未熟な感情のゆらぎが引き起こしたものだった。
 きくなと、友達でいたいということと、価値観を強要することは違う。自明なのに、それを一瞬でも忘れてしまっていた自分が、恥ずかしかった。
「・・・ごめん。わからないこと口走っちゃって。ひさしぶりに人の優しさに甘えてしまったばかりに、つい調子に乗って、感情に流されてた」
 膝を抱えたまま、恥じ入ってじっと座っている私を、きくなは横からしばらく見つめていたけれど、そのまなざしの温度は、いつも庭の風景や月を見つめている時と同じくらいに温かいものだった。
「あたしは、別に怒ってなんていないよ。人もまた、時の川に抱かれるまま、ゆらめきながら変わっていくものだから。いつまでも変わろうとしないのは、私達のいる、この場所だけ」
 きくなはまた、視線を再び庭先へと移す。私もきくなに倣って、夜闇に目を凝らしていると、やがて、春雨に濡れては水滴を滴らせる樹々や広縁、苔に覆われた景石などの輪郭が、微かに浮かびあがってくる。
「純理は少し前に来たばかりだからまだ知らないだろうけれど、白梅寮の庭に咲いている梅の花や、周りに咲いている桜の花・・・実は、百日以上も咲き続けているの」
 私も、遺失植物である桜の品種の一つ一つについてまで花期を覚えているほど研究をしてはいなかったけれど、あの儚く散りやすい花が長期間咲いているのは明らかに不自然な気がする。
「ここは、いつまでも花が咲き続けている春の迷宮。同じ時が繰り返し流れている、きれいなものが、きれいなままに凍りついている場所。あたしは、この在り方について評価を決めかねているけれど、その前に、友達からの参考として、まずは純理の意見を聞かせて欲しいな」
 それは、『あらゆるものは形を変え、いつかは過ぎ去っていく』という時の前提が意図的に排除・無視されている、言い換えれば、理想化された世界だった。
 現われている姿は違うけれど、私が不毛で単調に思っていた均一な時空間の世界と、本質的には同じものなのかもしれない。しかし、私は、この二つの世界を同列に批判する気にはなれなかった。何故なら、私は、この変わらない風景の中に、小里さんの切ない願いが、そのまま表れているように思えてしまったから。
「きっと・・・私の勝手な推測に過ぎないけれど、この世界の約束事をつくった人は、そうであって欲しかったんだと思う」
 明快さとは無縁の回答は自己採点で20点もあるかどうか疑わしかった。けれど、私の答を耳にしたきくなは、面白そうにうなずく。
「あたしには、ちょっと眩しくて、寂しい場所だけれど――純理がそう言うのなら、あながち捨てたものでもなさそうかな」
そう言うと、きくなはすっと立ち上がって、広縁から月見台に向かって歩いていく。
 いつのまにか雨は上がっていて、空を厚く覆っていた雲はまだ残っていたけれど、幾分かは薄くなった筋雲の隙間からは、漏れ出した淡い光が、再び地上を照らしだそうとしていた。
「夜は踊る時間。昼間は踊る時間を創り出す時間。いつもよりもずっと短くなりそうだけれど、月見の宴にご招待するよ」
 雨後の清冽な大気に輝く月は、夜闇にぽっかりと開いた穴のように、まばゆいばかりの光を放っていた。周囲の星々すら飲み込んでいく月の姿は、外の世界の姿なのか、それとも、遠い記憶の中に浮かんだ幻なのか。虚空を貫いた光の粒に濡れながら、私達は月を見守り、同時に、見守られる。
「この飲み物は初めて口にするけれど、芳醇な香りと甘さが際立っているね。これ、きくなが作ったの?」
「あたしの故郷に伝わっていた白酒。特別な時にだけ、出されるものだったの」
「皓々とまではいかないけれど、朧月に照らされた優しい風景の彩り。それに美味しい飲み物。これだけあれば、他には、何もいらなくなってしまいそう・・・」
「純理なら、この良さをわかってくれるとおもったよ。あたしの抱いている幸せのすべてが、いま、ここに揃ってる」
「二人とも、どうしちゃったの。せっかく、亜実とわたしが頑張って『おだんご』創ったのに、すみっこで飲み物ばっかり飲んでるなんて・・・」
 由良の言いたいことくらい、最初から解っている。頑張って用意したのにという気持ちも、二人の身になってみれば解らなくもない。しかし、私がこれまで形成してきた象徴界において、それは、絶対に、『おだんご』とは言わない。
「この度は、意欲的な試みをテーマにして、意匠性――分かりやすく申し上げれば、美しさの極致に迫ってみました。時を経て七色に変わる水晶の如き輝きと、生物が生来美しいと感じる対称性を究めた球体形状。必ずや、皆様のお気に入りになるはずです」
 見た目から入るという手法も、一般的には間違ってはいないと思う。しかし・・・人の知性とか常識力というものは、時に、不合理な判断をする性質があって・・・無理にとは言わないけれど、既成観念が行動を縛り付けるという事実も多少は認識していたなら、あの二人も一般受けする食卓を提供することに一歩近づけるのではないかと思う。
「どうやったら、あの乾物類がビー玉に変わるのか説明が欲しいけれど、たとえ理解できたとしても、噛んだ直後に歯が折れそうな固形分を摂取する勇気は、一生出てこないかもしれない。あらかじめ、そう言っておくね」
 これまでも、真に独創的な創作者は、常にこのような抵抗に遭ってきた。世間はその価値をなかなか理解できないのが当然であって、そのような抵抗が無いようであれば、新しい領域を拓いたのではない。そして、食に関する限りは、私もまた、真の創作者を理解する能力を備えていないことを、認めなければならなかった。たとえ、偏食と言われようとも、これを実際に摂食して、その上で適正な評価をする自信は、私には無かった。
 それに・・・由良と亜実には伝えなかったけれど、万一失敗作だった時には――最悪の可能性として、劇的な生理活性で身体が改変されてしまったりしようものなら、楓と希の前に辿り着く前に、私の命すら保証できない。杞憂だと思われるかもしれないけれど、あの二人に常識をそのまま適用するという行為に潜む危うさについては、かねてから私の理性と本能が交代で警鐘を鳴らしていた。
「えっと・・・そうだ! 美月なら、美味しく食べてくれるんじゃないかな。ずっと夜中まで起きて研究していたら、お腹もすくと思うよ」
「きくなもそう思う? 天才の業績は、天才じゃないと理解できないのは、歴史が幾度となく証明しているから。美月なら、ちゃんと点数もつけて評価してくれる・・・って、そう美月に伝えといて」
 私達の懸命な心が通じたのか、亜実はしばしの間考え込んだ後、卓の一つを手に腰を上げる。
「本来ならば、お二方の為にお創りしたものなのですが・・・美月様にも、お裾分けに上がります。この場にも幾分かは遺し置きますので、お気が変わられた時には、ぜひ、お召しあがり下さい・・・」
 こうして、私ときくなの生命の危機は回避された。由良はせっかく創ったものが評価以前に拒絶されたのを残念がっていたけれど、手に持っていた白酒を回したら、疲れも手伝ってか、(単に、精神年齢が低くて夜に弱いのかもしれないけれど)すぐに柔らかく丸まった姿勢で、夢の世界に赴いた。身体が幼いのか、心が幼いのか、つくづく、よく寝る子だと思う。
 こんな時に、一体何をしているのかと疑問に思いたくなったけれど、ここに来て、ようやく本題へと戻ることができた。
 着物が所々夜露に濡れるのも構わない様子で、きくなは湿った月を眺めていた。私が星空に思い出を持っているように、きくなもまた、月に思い出を託しているのかもしれない。
「いろんな別れを繰り返してきたけれど、私を毎晩見つめてくれる、この月の光だけは、今でも、殆ど変わっていない。あの輝きは、あたしにとって、幼い頃と今を結ぶ懸け橋のようなもの。これから先も、きっとそう在りつづけてくれる――そんな気にさせてくれる何かを持っているの」
「なんだかんだ言いながらも、やっぱり、きくなだって未来のことを考えてるじゃない。例え、非現実的な空想の中であったとしても」
私は未だに、美月の真意を掴めないでいた。きくなと亜実に会わせたのは、何か知らせたいことがあったのか、もしくは何か教えたいことがあったのだと思うけれど、その中身は依然として不明のまま。手帳のスリープモードが自動解除される時間も、すぐ目の前に迫っているのに、何の進展も得られないまま、その時を迎えようとしている。このままでは埒が明かないと考えた私は、より積極的な姿勢に打って出ることにした。
「きくなにとって、『時』って何なの? 此処にいる私達よりも、優先する価値があると思う?」
 自分でも答えが出ていない問題を、正面からぶつけてみる。普通なら、一介の踊り手に訊ねるには、さすがに過ぎた質問だと思うけれど、私と異なる次元で物事を考えているきくななら、私が夢にも考えていなかった答えを返してきてくれるかもしれない。
舞台の上で寝転がった姿勢のまま伸びをすると、きくなは苦笑して、目を閉じる。
「純理って、割とせっかちなんだね・・・・まぁ、この状況なら仕方ないか。本来なら、一晩じゅうでも語って、ゆっくりと噛み砕いて伝えたいところだけれど、結論だけを、先に言うね。時という概念は、突き詰めて言えば写絵(うつしえ)の世界。時の流れの中に人は住んでいるように思えるけれど、実は逆で、人は想い念じた末に時という幻の概念を思い描いて、思い描いた幻の中に自身を置いているに、過ぎないんじゃないかな」
 まるで、世界そのものを粉々にされたような気分だった。きくなの見解は、私が抱いていた議論どころか、問題の在り方を根底から崩してしまいかねない危うさすら秘めている気がする。
「仮に、もしもそうだとしたら・・・どうするつもり?」
 理解するとかしないという以前に、私は反射的に問いかけていた。筋道だった論理に沿って、考えている余裕は無かったけれど、生まれて初めて感じる、身体の中心を貫くように鋭く疼く感覚が、私を突き動かしている。
「あたしが、何かものすごいことをしようとしているように見える? こうして、意識できていたところで、結局は、あたしも他のみんなと同じように幻想の箱庭のなかで生きていくことしかできないのに。今宵、こうして純理と、ささら雲に隠れた月を眺めている・・・それが、あたしの行き着いた処であり、あたしの境涯なの」
 きくなの月を見つめる笑みは、どこか、翳っていて。天を見上げる瞳は、どこか潤んでいて・・・私は、美月が私達をきくなの元に向かわせた真意が何処にあったのか、今更のように分かったような気がした。
「あっという間に、終わっちゃうんだね。楽しかったことも、苦しかったことも。一緒にいた日々も、幸せだった記憶も」
 きくなや亜実と関わるのは、これが最後になるのかもしれない。私が未来への針路を定めて、歩を進めた時――それが、きくなとの別離の時になる。勿論、最初に出会ったときから、永遠に、ずっと一緒にいられるなんて考えてはいなかった。けれど、こんなにも突然に訪れるものだとも、思ってはいなかった。
「だからこそ、一見、何でもないような今が輝いてくるの。思い出が、煌めいてくるの」
 きくなは、起きて私に向き直ると、艶やかな髪に差していた翡翠色の髪留めを外して、私の胸ポケットの中に入れた。
「この髪留めが、あたしの持っている断片。あたしにはもう必要ないから、これからは純理の思い出にしてあげて」
 私も、換わりにきくなに渡すべき物が無いか、思い浮かべる。けれど、等価となるであろう私自身の断片は、自分の意思で制御できない以上、自分でも取り出せない。しかし、髪留めやリボンの類にするとしても、学園からの帰りだったこともあって、他人に贈る用途に使えそうなものは、持ち合わせていなかった。
 なおも考えようとする私を、きくなは首を横に振って止める。
「あたしが髪留めをあげたのは、対価として何かを貰うためじゃないの。さっきの言葉に嘘は無いけれど、亜実の犯した罪を償うという意義もあるから・・・だから、あたしは胸に残った、純理の思い出だけでいい」
 自他共に認める世間知らずで通っている私だけれど、それでも、全世界を探しても二十六片しか存在しない断片と釣り合う程の罪が、一緒にやってきた家事ごっこではないことくらいは理解できる。
 亜実は、断片の一つを無償で渡しても、償えるか分からない、それほどに重大で、恐ろしく切実な事態を招いてしまった。だから、これで許してやって欲しい――きくなは、そう言っている。しかし、私の記憶を底まで浚(さら)って引っ繰り返してみても、思い当たる節は欠片一つ出てこない。私が記憶操作をされたという可能性を除外したら、私が全く預かり知らないところで、亜実が何らかの行動を起こしたとしか、考えられなかった。
「どういう、ことなの・・・」
 希といい、亜実といい、罪を犯しそうにない人種ばかりが行為に及ぶのは近頃の流行なのだろうか。これが仮に冗談だったとしても、性質が悪すぎて、私の感性では笑えそうに無い。
「亜実は、希に自分の断片を譲り渡したの。『いかなる状況にあっても、白梅寮と、小里さん、それに、あたしにだけは絶対に害を為さない』という条件と、交換にして」
 立て続けの衝撃で、頭がどうかしてしまいそうだった。けれど、それでも私は10秒以内に由良の首根っこを掴むと、持てる限りの力をもって揺さぶりをかける。亜実の得意技(?)、強制覚醒が一度でも役に立った、ある意味記念すべき瞬間だった。
「や、やめ・・て・・・、首が、柔らかくなっちゃうよぉ・・・・」
 寝起きに平衡感覚をかき回される最悪の目覚めには、知性もついて来られなかったらしい。微妙に、焦点がずれている抗議を、息も絶え絶えに行っている由良。しかし、自己採点では、むしろ感謝されるのが当然というべき、高水準な選択だったと思う。
「これでも、事態の大きさに比べたら二十分に優しいやり方だと判断したから。それよりも、きくなが教えてくれたの。希は、少なくとも二つ以上の断片を持っているって。楓が直面している状況の危険度は、私達が思っていたよりも劇的に跳ね上がっていたの!」
 直後、これまでに経験したことも無いような、ぞっとするような風が疾り抜けていく。薄く差し込んでいた月明かりは、再び、厚い雲に遮られようとしていた。




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