Lunatical life in broad daylight
へにょ~~~…… リ ツ 。ヮ ツ。
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ゆらめきのプレリュード⑩
 第十章 つゆしぐれのち

「・・・そろそろ、楓の口から聞かせて欲しいの。私達を繋いでいる遠い日の夢と、楓と希の、本当の願い」
 楓の束縛を解放した後も、すぐに行動を起こせた訳ではなかった。
 濡らしたハンカチを血や体液で汚れてしまった楓の身体を拭き清めたり、怪我による発熱が起こってからは、それが収まるまで安静に寝かせていなければならなかった。
 刺し貫かれて引き裂けてしまった楓の服だって、そのままに身に着けて歩くには、あまりに恥ずかしすぎる。私は、携帯の裁縫道具で、由良は、初歩の構成術を使って、楓の制服を繕う針仕事をしていた。素人レベルの仕事にしかならなくても、せめて、応急処置として肌が見えない程度には、繕ってあげなければならない。
 そして、思いのほか役に立ったのは、由良と亜実の用意した『自称月見団子』。楓が負傷で失ってしまった成分や組織を構成して埋める際の炭素源として、活用することができた。
こうした、数々の仕事に手を動かしながら、私は、楓に右の問いを投げかけた。服の処置が終了するまでには、まだ時間が掛かりそうだったし、楓も、あり合わせの万能シートに包(くる)まれて回復を待つだけの状態であったとしても、身体を動かさなくてもできる範囲で、これからの準備に協力して欲しかった。
 『舞い降りた天使』から『地上に落ちたミノ虫』にまで降格した楓は、回復中は絶対安静である以上、まともに身体を動かすことは許されない。声を出す代わりに、指先ひとつで器用に入力された通信文が、私の手帳に送信されてきた。手元や画面を一切見ていなくても入力できるなんて、いかに普段から打ち慣れているかが窺える。
『本当の願いなんて――ちゃんと答えることは、私にも、希ちゃんにもできないよ。人なんて、結局は自分のことさえ、よく分かっていないんだから。でも、それ以外のところについては、私の知っている全部を伝えるね』
「私、あれから小里さんに教えてもらったの。断片の出現した経緯と、楓と希の負った使命、そして、断片の一つが私の身体と同化しているというところまで」
『・・・・・・』
 別に、微妙な間までいちいち送信しなくてもいいと思うけれど・・・いや、楓の性格的に、こんな間は普通取らないだろう。おおかた、「前々からやってみたかった」といった程度の、軽い冗談なのだと思う。
「けれど、それ以外は全く知らないの。今の私は、自分の断片の使い方も知らなければ、由良と私が、根本的にどんな関係を持っていて、なぜ共鳴しているのかも、知らない・・・というより、これは忙しくて訊く余裕が無かっただけの。それに、二人っきりで話をした後で、楓と希の間に何があったのかも、私はまだ聞いてない。だから、一つ一つ、順を追って説明して」
『最初の二つについては、いちいち私に説明させなくても、由良ちゃんから教えてもらったらいいんじゃない?』
 正論だった。楓の要求する通り、これは、私が直接由良に訊ねるべき事柄に違いない。今までにも、訊きだす機会は何度だってあったにも関わらず、私はまだ、心のどこかでは、由良のことを避けてしまっている。いつまでも逃げ続けていた所で仕方が無いと判っていても、事実を知ってしまった瞬間から、何もかも変わってしまうかもしれない。そんな思いがあったから、知ってしまうのが怖かった。この、揺れるばかりで振り切れないもどかしさこそ、私が克服しなければならないものなのに。考え癖を持っていながら肝心の決断ができないのは、どう考えても片手落ちでしかなかった。
「物思いに耽る純理もかわいいけれど、純理には、もっといろんなことを知っていて欲しいな。純理が知らない純理のことも、純理がまだ知らない、わたしのことも、ね・・・・」
「痛っ! 由良が変なこと言うから、指・・・・刺しちゃったじゃない」
 楓が負った怪我の数万分の一にも満たない傷に抗議してしまったことに後悔を感じながら、私は、指先を口に含む。舌先に、酸っぱい困惑の味が広がった。
「変なことじゃないよぅ。純理にとっても、大切なことなんだよ」
 そんなことくらい、由良に言われなくても分かってる――と言いたかったけれど、喉元へと上がる前に胸の内でもみ消した。本当に分かっているのなら、とっくに詳しく訊いている筈だ。
『血で繋がっているのに、なかなかうまくいかないのは、私や希ちゃんと一緒みたいね。それとも、繋がっているからこそ、かえって、うまくいかないものなのかな?』
「私と楓は違うよ。楓は傷つく危険を厭うことなく希に近づこうとしたけれど、私は未だに、最後の一歩を踏み込めていないもの・・・」
 私と由良の在るべき姿を隠している秘密は、その気になればいつでも取り去ることができる一枚の薄絹に過ぎない。しかし、それに手を掛けることができない私を、楓は笑わなかった。
『それは、純理ちゃんにとって、由良ちゃんの存在が自分の身体や生命よりも大きいものだということだよ。由良ちゃんとの関係が変わってしまうことは、純理ちゃんにとって傷ついたり痛みを感じることなんかよりもずっと怖くて、あってはならないことになっている――つまり、そういうことなの』
 今度は、違うとは思わなかった。その想いは、最初から私の中に用意されていたものだから。固い皮にきつく包まれていた木の芽のように、音も無くふくらみ成熟して、春風に芽吹く時を待っていた想い。そこから生まれた、柔らかな想いの飛沫は、私の心の情景の全てを、一面の新緑へと、染めあげていく。
 枯れ果てていたはずの世界に芽吹いた、生命の輝きの情景。無味乾燥ではない、色彩に満ちている世界。
「私、信じてみて・・・いいのかな。何を告げられても、今までどおりに由良と接することができるって、私自身の気持ちを信じても・・・」
 理性に守られていない、むき出しのわたしが放った感情。いっしょにいたい、いまよりも、もっとつよく、ゆらとつながりたい――何もかも押し流していく強烈な想いが堰を切った刹那、心の座から、熔けるような潜熱の顕れを感じた。
「くっ・・・・・はぁ・・・・・ぁっ・・・・・!!」
 ずくんっ・・・ずくんっ・・・・胸部を中心に、ひとつひとつの細胞の間にまで情報因子が流れ込んでいく。身体のありとあらゆる場所が熱を帯びていって、火照った意識を保っていくだけの為に、私は精神力の殆ど全てを傾けなければならなかった。
「純理、頑張って・・・・。これ・・・・きっと、断片の覚醒反応・・・・・もう、少しだけ、頑張ったら・・・・終わるはずだから・・・」
 陽炎のように揺らぐ視界の隅で、膝を折って必死に胸を押さえている由良の姿をとらえる。私と心臓が同期している由良にもまた、同程度の苦痛が伝わっている。
 どうして、由良には私の苦痛が実感として認識できているのだろう。身体が繋がっている訳でもないのに。感覚器官を二人で共有しているかのように、由良の服の着心地やその瞳に映っている私の姿・・・いや、それどころか知識や精神の表層にまでも一部で接続している。
 ちぎれては繋がっていく、未体験の錯綜の渦。
 それを断ち切って私を現実へと再び引き戻したのは、切羽詰った楓の声だった。
「・・・・純理ちゃん、由良ちゃん、しっかりして! 歩けないっていうのなら、這ってでも、いますぐここから離れてっ!」
 そんな事を言われても、私達三人の誰もが手負いか、もしくは行動が大幅に制限されている状態なのに。一人としてまともには・・・と、そこまで考えた所で、肌が一斉に粟立つ感覚に襲われる。
 今、私達の状態は、無防備そのものだった。
「もはや、動ける方はいらっしゃらないようですね・・・今ならば、私一人でも確実に処置を完了することが可能です」
 陶磁の人形のような瞳で私達を見下ろした希は、私がこれまでに接して知っていた希から、遠く隔てられた存在になってしまっていた。
 見た目や性格が変わったとかそういうことではなく、希の全身から発せられている、何か、底の知れない斥力のような威圧感が、本能に警鐘を鳴らしている。畏怖のさざ波に震えながら、私は理解した。間違いなく、希が本気で私達を狩ろうとしているということを、そして、希は私達にとって捕食者と被食者の関係にも近い、絶対的な上位者であるということを。
 希はまだ、私達の前に立っているに過ぎない。それなのに、息をすることさえ苦しいほどの重圧が感じられる。その圧力を断ち切って立ち上がったのは、つい先刻、目の前の希に身体を刺し貫かれたばかりの楓だった。まだ傷口が塞がったばかりで、露になった薄皮一枚の下は、組織の形すらまともに再生できていない。にもかかわらず、繕いかけの制服に袖を通しながら、苛烈な時の逆風と向かい合う楓の声には、春風の波長が含まれていた。
「嬉しいよ・・・・また、こうして希ちゃんに会えることになるなんてね」
 希は表情を変えることなく、楓に、しばし目を向けたかと思うと、全身から、ほのかに淡い燐光を浮かび上がらせる。希が何を意図しているのかはまだ分からないけれど、可視光を含む輻射を放っているという時点で、彼女とその周辺物質が何らかのエネルギーを帯びているのは、間違いなかった。
「この場に貴女が居合わせたのは想定外でした。湖の底に封印した断片(アンクル)に掛けられた封印は、既に解除しました。その折に、生命維持命令も停止させたのですが・・・そこの御二方から、何らかの形で、助力を受けられたようですね」
 話している間も、希の周囲では、身に纏っていた燐光が各所で自らを巻き取るように凝集し、光球を形成していく。あっという間に生成された数十個の球体は、希に付き随うかのように、空中でぴたりと静止した。
「・・・私が、きくなから貰った断片を埋め込んだの。希が楓を殺せなかったように、私も、楓を死なせたくなかったから!」
 わざわざ自分から注意を惹くような行為をした理由は、ほとんど自棄だった。
 一番傷ついている楓の背後に隠れるような真似はしたくなかったし、この状況から逃げるという選択肢は、一時間以上も前に、自分の手で消去してしまっている。意識が保っていられる程度の熱や痛みなんかを理由に、一度定めた針路を曲げたりするような行いは、何よりも、私自身の誇りが許さなかった。
 これで、楓に向けられていた注意が少しは私に移ってくれればと思ったけれど、希は泰然と私の言葉を受け止める一方で、依然として、一切の隙を見せることなく全方位へと意識を張り巡らせている。内心では動揺している私とは対照的に、希は、どこまでも冷静だった。
「純理さんの仰るとおり、私は今回を含めて二度、天原楓の消去に失敗したことになります。最初は学園の屋上から突き落とした時、そして、先ほど、氷柱で刺し貫いた時――いずれも、圧倒的な力量の差をもって臨みながらも、結局は失敗に終わりました。
 数値化することができない、ある種の運命的な力に、この子は護られている。そして、この先も失敗を重ねてしまったら――私は“時を告げる者”として完全に無用の存在となり果ててしまうことでしょう。そう認識したからこそ・・・私は、あらゆる障害も即座に排除しうる、決定的な切り札を求めたのです」
「それが、楓から手に入れたみっつめの断片。希の雁木車と対を成す、そのアンクルなんだ」
 雁木車とアンクルは、共に噛み合うことによって機械式時計の動力を制御する部品だった。雁木車に伝えられた回転運動は、直結しているアンクルの往復運動へと変換される。その過程において、雁木車の鉤型の歯とアンクルの爪石はぶつかり、互いにせめぎ合う。
 そのメカニズムを介することで、初めてゼンマイの無秩序な力は周期的な動作へと変換され、これらの部品は、最終製品の精度を決定する上でも極めて重要な、ムーブメントの心臓部とも言える存在だった。
 どちらが壊れてしまっても、時計としては成立しえない、そんな、二つの部品が破損しかねない位にぶつかり合っているなんて、なんとも、皮肉を感じずにはいられない。
 由良が視線を向けた胸元から希が取り出したのは、幾重にも鎖を通されたペンダント。楓が本来の所有者であった断片だった。
「はい。この断片を私の体内で協働させることにより、私の物質変換効率は20.2%にまで向上します。単体使用時の9倍弱の出力をぶつければ、いかなる方策をもってしても、抵抗はほぼ不可能でしょう」
 私達に向けて狙いを定めるように、左腕をゆっくりと突き出す希。身体が強張って動けない中で、思考の歯車は砂粒を噛んだようにきしみ、違和感を吐き出し続ける。しかし、違和感の輪郭が形を成すよりも早く、希の統一力が顕現した。
 大気全体が希を中心に流れ込む渦流を形成した直後、希のかざした左腕の先に、数百㎏大に及ぼうかという位の規模の、氷柱が生成していく。しかも、氷柱の素材は、大気から得られる元素なら全て利用可能である筈だから、果たして、それが氷なのか、窒素なのか、二酸化炭素なのか、それらのどれでもない、他の物質や複合体なのか――一本一本分析する余裕を与えてくれない限り、直撃する瞬間まで一切解らない。
 相手が氷だからと言って不用意に熱エネルギーで防御しようとしたら、メタンハイドレートや固体酸素だった場合には即座に誘爆して、熱量と衝撃波を爆心から受けることになる。楓が先刻遭遇したであろう凶刃が、今度は私達に向かって、生々しい害意を収束させていく。
 絶望の風が吹き荒ぶ中、楓は、損壊同然の身体で透明色の領域を顕現させようとして・・・しかし、希の構成速度の方が桁違いに早くて、楓の構成は間に合わない!

「許されるとは、思っていません。許されざる咎を負ったまま、私も贖罪の道を墜ちます」
 希が構成した十数本の氷柱は、引き絞った弓から放たれた矢のように――いや、そんな生易しいものではない、巨大な質量を帯びた力学的エネルギーの塊が、自身の慣性を一切無視した速度と軌道を描いて殺到する。
 直撃だけは逃れようと、私は咄嗟に楓を抱えて軸線から逸れた領域を目指し、精一杯の力で地を蹴ろうとする。しかし、身体に力みが入った途端、胸に火箸を突き入れたような痛みが、全身を走り抜ける。
 無様に顔から落ちた痛みや血の混じった泥を味わう間もなく、至近に着弾した氷塊は衝撃と共にクレーターを形成し、爆風にも等しい蒸気や、砕けた氷片を、無差別に撒き散らした。
「くっ・・・・・・、楓、由良・・・どちらか、一人くらいは生きてる・・・・?」
 土煙が激しく舞い上がる中、私は背にのしかかる程の厚さにまで積もった土から抜け出そうとする。こんな非常識な行為に巻き込まれていながら打撲程度で済んだのは、幸運以外の何者でもなかった。
 楓は、私の傍らで気を失ってしまっている。内出血が酷くなっていなければいいけれど・・・と、そこまで考えたところで、お気楽な心配をしていることに気付いた私は、思わず場違いな苦笑を漏らす。
 しかし、そんな虚勢に近い笑みも、私をかばって背にいくつもの氷片を突き立てた、由良の姿を視界に認めた途端に打ち消された。
「ちゃんと、生きてるよ・・・・楓も、純理も、それにわたしもね」
 幸運だけではなかった。由良が自ら盾になってくれたお陰で、楓と私は生命を拾っていた。しかし、再び開けた視界の先には、私達に放たれた第一波とは比べ物にならない、ざっと百を超える数の氷柱を備えてこちらを見つめる希の姿がある。
「そんなものなのですか・・・? この度の攻勢も、楓が能力を使っていたなら、曲がりなりにも、何らかの形で反撃できたはずです。それなのに、防御だけで精一杯になっているなんて、肩透かしも甚だしいです」
 圧倒的に不利な状況。しかも、希は私達が足手まといであることにも気付いてしまっている。しかし、八方塞りに近い情勢を迎えることくらい、最初から認識できていた。認識できていた上で、私は由良を巻き込んだ末に重傷を与えてしまった。そのことに対する苛立ちと怒りが、長く心の底に封じ込めていた、忌むべき感情の扉をこじ開けていく。
 いつ心の奥底に埋めたのかも忘れてしまった、不要な感情が解き放たれ、頭をもたげてくる。理性の範疇から対極に位置している、感情の赴くままの憎悪。それらに操られていくままに、私は、掌が凍傷になるのも構わず由良の背に刺さった氷片を握って引き抜くと、手の中でそのまま握り潰した。
「希は、贖罪の道になんて墜とさせない・・・・希がこれから墜ちるのは、奈落の底に広がる虚無こそ、相応しいと思う」
 希を救いたいのならば、この場で引き裂いて消してしまえばいい。理性などを信じた末に、いつまでも回り道をしていたことがこの事態を招いたというのなら、そんな理念は憎悪の炎で焼き尽くした希の存在や記憶と共に、永久に埋葬してやる。
 威力を制御する歯止めが一切無いままに、物質転換を発動させようとする私を前に、希は、もはや何も語ろうとはしなかった。私の瞳を見つめてから、躊躇わずに放った182本の氷柱こそが、希の意志を、何よりも的確に伝える返答だった。

 いつの間にか、私は見知らぬ場所に寝かされていた。起き上がろうとした直後に右腕に反響するような激痛を覚え、そこで始めて、私は腕が折れているという事実に気付く。私の傍らで何かの手作業をしていた美月は、私が意識を取り戻したことに気がつくと、不機嫌そうなため息をついて・・・いきなり、私の額を指先で弾いた。
「まったく、純理が一番熱くなっちゃってどうするのよ。これだと、白梅寮に被害が及ばないように力を加減していた、希や楓の立場が、まるで無いじゃない」
 額を右手で押さえようとして追加分の痛みを味わった私は、思い出したように焦って周囲を観察する。
 床や壁面のほぼ全面が、花崗岩のパネルで化粧された部屋。窓が無い所からすると、地下室とも思われるけれど、白梅寮のような自然建築ではありえないほどに温度、湿度が厳密に制御されている。この部屋が、明確な目的のもとに設計されたものであることは、疑う余地が無い。
「訊かれる前に答えておくけど、此処は白梅寮の離れに造っておいた、私の隠れ家。丁寧にも、定常環境仕様にして、第二実験室兼物置部屋にするつもりだったけれど・・・まさか、最初の用途が『病院』になってしまうなんてね。どうにも、ここの住人には、冗談のセンスを一から矯正する必要を感じてならないわよ」
 記憶を手繰り寄せようとするけれど、あの時、希が放った氷柱の一本を素手で弾いた瞬間に、意識が真っ白になってしまって――それから先の事は、一切思い出すことができない。
「希は・・・・どうしちゃったの・・・」
「何にも覚えていないというのなら、丁寧に教えてあげる。あの時、暴発した純理と希の間に私が横槍を入れて、散々苦労させられた末に引き離したの。ちなみに、その折れている右腕は私や希じゃなくて、由良のやった仕事。もしも、由良がそうしてくれなかったら、純理は後先考えずに核爆発を起こして、間違いなくこの空間全体を蒸発させていた。話していると私まで疲れてきちゃうから、この話題はもうここまでにして」
 そうだ・・・あの時、目の前で由良を傷つけられた私は、完全に我を忘れてしまっていた。無意識の内に解凍された物質変換の技術を、最も根源的な形で無秩序に解放しようとした私は、安全装置の壊れた殲滅兵器にも等しい存在と化していた。
 この身体はもう、女子学生のそれとは遠くかけ離れた、想像すらできない規模の災厄を生み出しかねない、禍源にも等しい存在。その事実を認識した時、ほんの一瞬、狂気への裂け目が垣間見えた気がした。この感情が制御できなければ、私はもう、生きる資格は無い。
「ごめんなさい・・・・・私はもう二度と、感情に身を任せない。万が一のことがあっても、その時には私自身を破壊して止めるって、私自身の誇りにかけて誓うから・・・」
 今の私には、希が生命を断ってでも断片を狩り集めようとした心情も、具体的に実感できる。無限の可能性を秘めた存在は、同時に、無限の危険性をも孕んでいるのだから。しかも、その危険を抑制しうる可能性が、目に見えない信頼に頼らざるを得ないとしたら、なおさらだった。
「由良を傷つけられただけで感情が暴発したのに、同じ過ちを繰り返さないと言い切れるの?今度こそ、目の前で由良を殺されるかもしれないのに? 念のために、もう一度だけ訊き直すけれど・・・その言葉は、本当に額面通りの意味で差出した、信じるに値するものなの?」
 お互いの顔が触れ合うくらいの距離から、じっと私の目を見る美月からは、ひりつくような気迫が伝わってくる。心臓を鷲掴みにされている感覚すら覚える圧力に怯みたくなりながらも、私は即答した。
「私は、信じてる。果たして私の気持ちに嘘があるかどうか、美月なら見極められるって」
 そこまで口にしたところで、美月はすっと身を引いて、さっきまで座っていた椅子へと腰を下ろす。判断力、決断力が卓越している美月らしい、診断の早さだった。
「本当は、本人から口止めされていたんだけれど・・・純理のことを、信じて教えてあげる。あなたを庇った由良の傷のことだけれど――私にも、ほとんど手の施しようがなかったの」
 自分の耳の方を、先に疑った。由良の傷は決して浅いものではなかったけれど、美月が匙を投げるような傷だったとは、到底思えなかった。身体に風穴を空けられた楓だって、こうして現実に助かっているというのに。
「そんな・・・・構成できないものが殆ど無いような美月が、どうして、あんな単純な損傷を繕えないって言うの!?」
「希は、同じ失敗を二度も繰り返そうとしなかった。希の氷片には、突き刺した相手の断片を機能停止させるコードが込められていたの。だから、断片による自己再生の促進は期待できないし、私が構成した組織も、しょせん素人が見よう見まねでつくった間に合わせでしかない。一応はできるだけの処置を継続しているけれど、由良に残された時間が、あと一時間なのか、それとも、あと一日なのか・・・正直、私にも判断できない」
 私のなかで、心のひび割れる音が響き渡っていく。それは、二人で定めたはずの未来が崩れ落ちていく音だった。
「・・・・・・由良に会わせて。理由は・・・ただ、会いたいと思ったから」
 
 白い壁、生まれたての綿雲をちぎって溶かし込んだような、やわらかい光。哀しいくらいに綺麗な部屋には、即席の物理療法シートを楓と共有する形で、身を寄せ合って目を閉じている由良の姿があった。
 何かを与える為でもなければ、何かを託される為でもない。声を聞く為でもなければ、声をかける為でもない。抱きしめる為でも無ければ、抱きしめられる為でもない。自分でも、何の目的を持ってこうしているのか、まるっきり説明することができない。それでも、分からないままに、此処へと引き寄せられていた。
 具体的な意義を何ら見出すことができない白い時間に身を置きながら、私はただ、じっと、二人の傷ついた姿を見つめていた。
「純理・・・・腕、折っちゃってごめんね・・・・。それでも、許してくれるのなら・・・、声・・・聴きたいな・・・・」
「謝ったりなんて・・・・・しないでよ・・・・・。美月から全部聞いちゃったりしたら――もう、怒ってあげることさえ出来ないじゃない!」
「・・・そっか。美月から、みんな聞いちゃったんだ・・・」
「本当は、引っ叩いて怒ってやりたかった。つまらないことを口止めしたことを叱ってから、由良を巻き込んだ挙句に我を忘れて無茶した私を、思いっきり叱って欲しかった!!」
 もうすぐ最期の時を迎える由良を叱ったところで、私の自己満足にしか過ぎない。哀しさもあったけれど、こんな結果を招いてしまった自分自身がより腹立たしくて、行き場を無くした想いが鬱屈していた。
「泣かないで・・・純理が泣いたら、わたしまで、悲しくなっちゃうよ・・・」
「勘違いしないでよ・・・ただ、水がこぼれちゃっただけなんだから・・・」
 自分でも下手な嘘だと思ったけれど、誤魔化しなんて、普段からやり慣れていないのだから、苦し紛れになっても仕方が無い。
 しかし、由良は私の百点満点中二点の弁解にも精一杯の力で笑うと、瞳を開いて、私をじっと見つめながら、諭していく。
「もしも、美月が言うようにあと一時間で最期の時が来るとしても、それまでの時間を永遠と感じ取ることができたのなら、わたしの生きた時間は永遠になる。楽園のなかで永遠の時間を生きて、誰よりも大切な人と、思い出を共有して、わたしは世界の一部に還っていく。だから、なんにも悲しくは無いよ。あたりまえのことが、ほんのちょっと早かっただけで、わたしはそれまでに純理に出会えて、とても嬉しかった」
 どうして、私の周囲にいる子は、こんなにも嘘が上手なのだろう。本当は辛くて、痛くて、苦しくて仕方がないはずなのに、平気そうな顔で笑うなんて。
「嘘をつくことができる程度に余裕があるのなら、ついでにもう一つ白状しても、罰は当たらないんじゃない?」
 由良の身がびくっと小さく震えたのを見て、私の確信は、確証へと変わった。
「私の目は、そこまでは節穴じゃないよ。存在しているんでしょう。『美月には出来ないけれど、他の誰かには出来る』、由良を助ける為の方法」
 美月は、これまでにあった事実を99%正確に話してくれたけれど、事実の海の底に瑣末な嘘をひとつ隠していた。
 そもそも、私と由良は基本的に同調しているのだから、仮に由良が逝ってしまったとして、私だけが無事でいられる前提で話が進んでいるのは明らかにおかしい。
 希の思惑とは関係なく、由良と美月が何らかの細工をしているのは明白だった。
「これからは、純理に隠しごとできないね・・・・純理がわたしを助けたいのなら、わたしと、共融(メルト)したらいいんだよ」
 共融――それは、将来を誓い合った二人が行う儀式の中でも、最も強く、そして深い覚悟を要求されるものとして知られている。
 共融した二人は、精神力や精神的な技能・情報を互いに自由に交換できるようになり、身体的状態や生命力すら、不可視のネットワークを介して同調させることが可能になる。しかし、どのコミュニティにおいても、共融の実行はきわめて慎重に管理されていて、許可を得るには、達成がきわめた困難な厳しい条件を満たした上で、それでもなお、幾年にも渡る審査を通さなければならない。それゆえに、一般には、普通の生活を送っている限り、実際に共融している人間を見ることは終生無いだろうと言われている。
 共融が、そこまで強く禁じられている理由は、誰にでも分かるほど簡単なものだった。一度実行してしまったら最後、共融した二人の身体的、精神的な結合は二度と切り離すことができない。元に戻す手段が最初から用意されていない、不可逆変化を引き起こしてしまうゆえに、共融は、将来を誓う儀式へと、その在り方を昇華させていった。
 互いを生涯の伴侶として、存在の根本的な部分から四六時中通じ合う。そして、最期の一瞬までも、二人同時に受け入れるだけの覚悟を要求する究極の愛情表現――それが、共融だった。
「こんな形で純理を動かしたくなかったから、美月には傷のことも黙っていて欲しかったの。『わたしの命を助けるため』とか、そんな理由じゃなくて、純理の方から自然に『共融しても、いいよ・・・』って、言ってくれるのを、ずっと待っていようって、決めていたから・・・」
 普段は子犬みたいにしているくせに、こんなタイミングで気を遣っていたなんて。
 本人には自覚なんて無いだろうけれど、由良のそういうところって、不条理にも、ずるいと思えてしまう。そもそも、良いと思えるような部分なんて、一つとして合理的な説明をつけて挙げられないし、元をたどれば、あの公園で由良に出会ったりしなければ、こんな目に遭うということもなかった。
 楓が一方的に友達宣言することもなければ、希に生命を狙われることもなかった。それに、遺失生物が足の踏み場もないほど生息している異郷の地で突飛な話を聞かされることもなければ、不均質な空間で不便な手作業生活を送ることもなかった。
 周りの世界が徐々に色彩を帯びていくこともなければ、人という存在を・・・こんなにも、愛おしく思えることだって、起こり得なかった。
「いいよ・・・・私、由良とだったら共融してもいい。ずっと生涯を共にして、未来を紡いでいく伴侶にしても、きっと、後悔したりはしないと思う」
 精一杯の気持ちを込めて、しぼり出した言葉。この時の私は、思い出すことさえ恥ずかしくなってしまうくらいに、しおらしくて、身体が熱くなってしまいそうなくらいに、頬を染めていた。

 そして、私と由良は、一つに融け合った。由良からは、私からは聞かずじまいになっていた遠い絆や、断片の正確な制御方法の数々が伝わってきて、しかも瞬時に修得することができた。
 そして、私からは、由良の生命を支えて快復させる為の精気を分けてあげることができた。何の予告も無く、由良が負った傷の痛覚が伝わってきた時には、気絶しそうになったけれど、そんな不都合を含めても、私には、はっきりと胸を張って言えることが、ふたつだけあった。ひとつは、由良に巡りあうことが出来て幸せだったということ。そして、もうひとつは――
「あれ・・・・まだ、天路の途中なの・・・?」
 寝ぼけ眼をこすりながら、辺りを見回す楓。『地面に墜ちた、落ちこぼれ天使』から、『万能シートに包まったミノ虫』にまで降格して、今度のステップでは、『殻を破ったばかりの雛鳥』にまで復帰したらしかった。
 それにしても、優に五回は天界と往復できそうな目に遭っているというのに、それでも強運が尽きないなんて。この子はよほど神から愛されているか、もしくはよほど性質の悪い宿業を背負って生まれてきたに違いない。
 緊張感をぐずぐずにすり潰してペースト状に仕上げたような声をあげる楓に苦笑しながら、私は思考を中断して、楓の上体を起こして観察してみる。
 抱き起こしていく途中にも、特に、痛がったりはしなかったし、骨格、筋肉とも目立つような変形は無い。身体も、ちゃんときれいな皮膚が再生しているし、下に痣なども確認されない。中枢系や臓器の状態は分からないけれど、身体の表面だけを見るなら、むしろ私達の方が酷いくらいだった。
「楓がいなくなったら、誰がさくらもち至上主義者を擁護するのよ・・・それに、希を心から救ってあげるという願いは、希の願いにも負けないくらいに強くて、最後にはきっと通じるよ。少し遅くなったかもしれないけれど、ようやく、それが確信できるようになったの・・・」




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