Lunatical life in broad daylight
へにょ~~~…… リ ツ 。ヮ ツ。
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ゆらめきのプレリュード⑫
 第十二章 ゆらめきのひび

 希の瞳から、ひとすじの涙が零れ落ちる。どれだけ傷つき心を痛めても、決して流すことがなかった、雪解けの雫。その唇が、微かに〝ごめんなさい〟という形をつくる。
 しかし、その直後、希は全ての力を失ったように、その場に崩れ落ちた。
 同時に、希の身体から星屑の雫が零れ落ちる。雁木車と、真珠貝が意匠化されたアクセサリ。それは、希が身を捨てる覚悟で、ずっと同化し続けていた、二つの断片だった。
「由良は、急いで楓の状態を看てあげて。私は、希の容態を確認するから・・・」
 私達を囲っていた氷壁が、風に溶けるように消えていく中、私は、急いで希のもとへ行こうとする。しかし、腕にも、足腰にも、全くと言っていいほど力が入らない。今まで忘れていた重力や慣性の存在を急に思い出したように、身体が急激に縛られていく。
 その摂理に抗いきれなくなった私の腕を、支えてくれたのは、気絶していたはずの楓だった。泥と血がところどころに付着した、散々な姿は相変わらずだったけれど、楓の春日和のような微笑に触れた私は、その時になって始めて、為すべきことが終わったことを実感した。
「息・・・吹き返していたんだ・・・、よかった・・・」
 楓の無事を確認できたことで、これまで必死に張りつめていた神経の絃(いと)が、一気に二、三本切れてしまう。
「あれからすぐに、美月ちゃんが私を見つけて治してくれたの。今は、あっちで由良ちゃんのことも、看てくれているよ」
「由良のことだったら、大丈夫。共融しているから、私には判るの。それよりも、希のほうを看てあげなきゃ。このままにしていたら、いつ死んじゃっても、おかしくない」
「純理ちゃんの言う通りだよ・・・だから、私が此処に来たの」
 ほどなく、楓に支えられて足を引き摺りながらも、私達は希の傍らに到着する。
 色を失った希の身体は、既に、冷たくなってしまっていた。
「断片2個と同化した身体的負荷に加えて、心身を削り取っていく莫大なエネルギーの媒介。希ちゃんは、生命を縮めるほどの苦痛に耐えて私達を追い詰めたけれど――これだけの過重を受けながら心の中で相反する感情の歪みにまで耐えることまでは、遂に出来なかった」
 自分に出来る以上のことをやったはずなのに、気分は重く沈み込んでいく。ここまで深刻に希を追い込んでしまうことになったのは、私の失策によるものだったから。最善の選択を最後まで続けられたら、別の結果になったかもしれない。その考えは、今でもなお、私の中でくすぶり続けている。
「純理ちゃんも、由良ちゃんも、悪いことなんてしてないよ。私達全員の意思と、希ちゃんの意志・・・そのすべてが重なり合った結果として、この、『いま』という瞬間が出来上がっているの。だから、未来は誰のものでもないし、過去も現在も、誰のものでもあって、誰のものでもないんだよ」
 楓は希の懐からアンクルを取り出して身に着けると、希の肌を露にして自身もそれに倣う。その行為が、どのような意味を持っているのか、私は知っていた。
「希ちゃんは、死なせないから。希ちゃんは、世界中の人が必要としているし、私にとっても、大切な人だってこと、希ちゃんは忘れちゃいけないんだよ――」

 甘酸っぱい薫りがする。輝く風に流れる光の粒のひとつひとつが、ぬくもりと靄のかかった意識の風景に、ゆっくりと滲みこみ、拡がってくる感覚。ふわふわ、ゆるゆる。ゆっくりと、そのまま春のスープの中に溶けていってしまいそうな、一時のまどろみ。
 身体と頭の芯が軽くしびれているような、気だるさの海を漂っているうちに、やがて、私はふみっとした感触に行き着く。いつの間に私の傍らまで潜り込んできたのか、丸まった姿勢で、ぐっすりと眠りこけている、由良っぽい固まり。ああ、だから、こんなにも温かかったんだ。
 しかし、不意に、肉食獣に襲われる直前の悪寒が肌に降りかかってくる。しかし、私の過労した心身は、反応を起こすには、あまりにも速度が落ちて過ぎていて・・・『それ』は、間もなく私にやってきた。
「ん・・・・・~~~っ!?」
 肺の中の空気を、無理矢理に押し込まれるような窒息感。たまらずに身をよじっても、なお迫りくる脅威を突きとばそうと、私は、寝起きの運動神経に出来る範囲で精一杯に腕押しする。
 布団をはね除けた先から流れ込んできた、ひやっとした空気。一斉に飛び込んできた情報の洪水が、本格的に目覚めを誘発していく。
「純理様・・・・私、また過ちを犯してしまったのですか・・・・??」
 活動状態に移行した視界に入ってきたのは、自信なく尻餅をついたまま腕を組んでいる亜実。
「はぁ・・はぁ・・・、おおかた、美月か、小里さんに吹き込まれたのだろうけれど、次から、口にキスするのだけはやめて・・・そう、もっと弱い技から掛けていくように、お願いね」
「よく分かったね。正解は、小里お姉さんです♪ みんなで昼ごはんを待っているんだから、早く来ないと暴動が起きちゃうよ」
 亜実から一歩離れたところで私達を観賞していた小里さんは、全然悪びれていない様子で、今の状況を告げる。かなり記憶が飛んでいるけれど、私は、いつの間にか白梅寮に帰っていて、自分で敷いた布団の中で、ぐっすり眠りこけてしまっていたらしい。そして、亜実が起こしに来たということは、食事の時間を過ぎてもなお、寝坊していたということだった。
 そうなると、問題は由良。表層意識がまるで伝わってこないということは、完全に熟睡している。もう少し余裕があるなら寝顔を観察したいところだけれど、粘着性の誘惑を振り切って、私は、亜実の力を借りて、由良を眠ったまま布団から引きずり出して、着替えさせていくことにした。
 限りなく広い世界と時を内に秘めた由良の身体は、あれだけの死線を潜り抜けたとはとても思えないくらいに、小さく、そして軽い。このあどけない身体の中に、私の人生を変えてしまったほどの包容力が詰まっている――そう思うと、あらためて、楽しみと不安の入り混じった気持ちが芽生えてくる。ここで、由良が軽い身震いと共に、ぱちっと、目を見開いた。
「なんだか、急に純理の方から、ぞわぞわってくすぐったい感情が響いてきたよぉ・・・」
 由良の気持ちは分からないではないけれど、人の感情をまるでキャベツの葉の上で這い回る毛虫のように言うのは、ちょっと止めて欲しい。しかし、亜実の思考体系においては全く違う方向に、解釈のベクトルが作用したようだった。
「・・・さすがは純理様。このような方法を見越した上で、敢えて由良様をお目覚め差し上げなかったのですね!」
「ほら、純理ちゃん。褒めてくれた人には、ちゃんとお礼を言わないとダメだよ?」
「ありがとう・・・・褒められても悲しい心地になることがあるって、教えてくれて・・・」
 実際より二桁以上も高い評価で買いかぶってくれる亜実の笑顔に、かえって打ちひしがれる。依然として、由良は私の天敵なのかもしれなかった。
 縁側に出てみると、花曇りの空からは、傷ついた自然を癒し育む春雨が地表を潤している。傷ついても、折り取られても、残された生命と新たな生命が何度でも根を張り、再生していくまっすぐな逞しさ。その風景の奥にある優しさに、私は静かな悦びを感じ取る。
「おはよっ、お寝坊すぎな由良ちゃん、純理ちゃん。私も、みんなも、ずっと待ちすぎてもうお腹ぺこぺこだよ・・・」
「御二方とも、さすがにこれ以上の不精は頂けませんよ。心身が痛んでいるというのであれば、私や、楓だって同じなのですからね」
 開口一番、気怠さが三割ほど混入している楓と、きれいな姿勢で正座しながら、澄まし顔で注意をする希。ありふれていたはずなのに、涙が出るほど幸せな情景。
「ごめんなさい。お詫びに、お茶の時間に出てくる氷砂糖、私の分も譲りますから・・・」
 「氷砂糖はともかく、純理のその心意気に免じて、許してあげようかな」と、応じるきくなに、「その氷砂糖も、元を辿れば私が構成した気がするけれど・・・食後の片付け、お願いね」と、審判を下した美月。
 当初の食卓に上げられた、あの衝撃的な物体を振り返れば、亜実のつくる献立も、以前よりはるかに人間味を帯びてきたといえる。この分なら、亜実ひとりに任せておいても、きくなの食糧事情については、安心できそうだった。

 由良に指示を送りながら、手早く後片付けを終えた私達は、まもなく小里さんに奥座敷へと呼び出された。そして、並んで座っている私と由良にお茶を出した小里さんは、まるで、世間話でもするかのように、話を切り出した。
「あれから、十日も経っちゃったね。純理ちゃんと由良ちゃんがまともに動けるようになってから数えたら、まだ二日目かもしれないけど」
「はい・・・私の未熟さのために、随分ご迷惑をおかけしちゃいました・・・」
 食事と後片付けの間に聞かされた話を総合すると、私が眠っていたのは、一日では無かったらしい。実は、あの争いで傷を負った当事者の中で、傷の治りが一番遅かったのは私だった。
 身体を幾度も刺し貫かれた楓や、一時は重体に陥った希でさえ、二日後には、もう布団から離れて、日常に近い生活を再開したという。
 ここまで、傷が治るまでの時間に差がついてしまったのは、単純に力量の違いが原因だった。初歩的な構成力が使えるだけでも自然治癒は随分促進できる。しかし、構成術を無意識に行使できる水準に達しておらす、しかも未熟で、傷ついていた私は、不完全な技術を下手に使わせようとしても、かえって怪我を悪化させる危険があった。そのため、目に見える傷については処置をして貰った私も、身体の中に無数に出来た微細な損傷の治療に関しては、生来備わっている治癒能力に任せるべきだと診断されたのだった。
 思わず縮こまってしまいそうな雰囲気を、小里さんはぱたぱたと手を振ってかき消す。
「そんなことで呼んだんじゃないの。純理ちゃんの傷が癒えるまで黙っていたけれど――実は、希ちゃんの一件を通して、白梅寮を取り巻く環境が変わってしまったの。今なら期間限定で、白梅寮に住んでいる子は、誰でも自由に、外の世界に帰れるようになっているよ」
 唐突に突きつけられた、予想外の内容。私は、小里さんの言った内容を、思わず反芻する。
「・・・・・私達は、いつでも、元々いた場所に帰れる・・・ということ、ですか?」
「あの夜に、希ちゃんと由良ちゃん、それに純理ちゃんと楓ちゃんが噴き上げたエネルギーの影響で、すっかり空間が歪んじゃってね。空間の継ぎはぎでつくられた白梅寮の回りも、今は綻(ほころ)びて、隙間だらけになってしまっているの。高次空間の概念から見たら、の話だけどね」
「みんなは、そのことを・・・」
「私から、とっくの昔に伝えたよ。それでもまだ此処を発っていない理由は、人によって違うみたいだけどね」
 急な話にあたふたと思考を巡らせようとする私に、小里さんはとりあえず必要な情報を全て提供していく。それは、私にとっても、そう簡単には決められないような内容であっただろうから、効率のよいやり方と考えられないこともなかった。
「残るなら残るで、お姉さんも退屈しなくていいんだけれど、あんまり長く隙間を放置すると、お姉さんの寿命も、縮まっちゃう一方なの。
だから、帰りたい人達には出発してもらって、その後にはまた空間を閉じてしまうつもり。他の子たちはもうすでに針路を決めているから、最後に残っている、純理ちゃんと由良ちゃん二人の針路を決めて、なるべく早いうちに、お姉さんに教えて欲しいの」
 要件を伝え終わると、小里さんは手元の温くなったお茶を、一口すする。私も、乾いた喉を濡らすために小里さんの動作に倣う。糖分抜きのお茶は、まともで、ちゃんと美味しくなっているはずなのに、その味わいは、妙に寂しかった。
「結論から言えば・・・お世話になりっぱなしで恐縮なのですが、私は白梅寮を発ち、本来の場所に――由良と出会った、あの公園に帰ります」
「もちろん、わたしも純理と一緒に帰るよ。小里さんも、ずっと元気でね」
 答える私達に、小里さんは慈愛にも似た眼差しで応じる。
 私には計り知れないくらいに深く、止めどなく湧き出てくる、愛情の形。
「此処を訪れた時に比べて、二人ともすっかり成長しちゃったね・・・ちょっと、眩しいな」
 半永久的なまでの期間を生き続け、時が止まったままに全てを見守っていく小里さんの瞳に映る、私達の姿。それが微かに揺らぐかに見えた時、小里さんはすっと席を立った。
「ただのソフトウェアに過ぎないのに、こんな時にまで人間味が出てくるなんて――やっぱり、お姉さんは欠陥持ちなのかもね・・・」
 ともすればこぼれそうになる涙を拭いながら、無理にでも笑顔をつくって私達を送り出そうとする。そんな小里さんの手を、私はぎゅっと握って、話しかけた。
「こういう時には、それで正解ですよ。『お姉さん』が先に泣いてくれると、私達も遠慮なく、そうすることができますから・・・」
 きらきらと流れていく、水精の時間。白梅寮での最初の別れは、愛おしさと優しさに溢れたものだった。

 荷物はもともと少なかった上に、先の出発の前にもまとめていたものだから、準備は数分と要しなかった。
 借りていた着物を脱いで衣桁に掛け、なお若干の傷みが残っている制服に袖を通す。何度も繕っているとはいえ、これでもなお着られるだけの耐久性があるなんて。普通の服では、まず考えられない。長い期間にわたって着用する制服の特徴と言ってしまえばそれまでだけれど、繊維の品質も、仕立ても、よほど良かったのだろう。
 白梅寮で最も長い時間を過ごした鶺鴒(せきれい)の間を片付けて辞して、渡り廊下に出る。
 その直後の角で、はたと美月に出くわした。
 ちょっと重そうに思えるサイズのショルダーバッグを提げる美月の姿は、旅支度である事を示している一方で、ワインレッドのワンピースに純白のカーディガンという、優美な服装との不協和音は避けられない。結果として、そこには、微妙なミスマッチが醸し出されていた。
「やっぱり、純理と由良も離れるって決めたみたいね。入れ違いになる前に会えて良かった」
 全く気負いの感じられない――あたかも、『これから、ちょっと出かけてくる』とでもいわんばかりの美月の身軽さに、私はあっけに取られてしまう。思わず、挨拶さえも忘れて、訊きかえしてしまっていた。
「どうして、そんな悠然と構えていられるの? これきり、二度と会えなくなるかもしれないっていうのに・・・」
 美月は、肩に掛けていたバッグを、とすんと床に置くと、何故か私の腕に手を回す。
 そして、私が訝しむ間も与えないうちに、美月は私の手をぐっと引っぱって、縁側から露地へと、軽く身を躍らせた。
「それっ♪」
「ひゃっ!?」
 慌てふためきながらも、辛うじてバランスを保って着地した私を、一足先に下りた美月が、楽しそうに受け止める。
「別に、庭に下りるのに沓掛石が必要だっていうルールは、第一法則じゃないよ。最初から、『もう二度と会えない』って寂しいことを考えるよりも、『会いたい時には、自分から会いに行こう』って、そう考える方が、ずっと楽しいじゃない。その為なら、私は、新しい方法だって、自分で作っちゃうよ」
 美月は、どこまでも手を伸ばしていく。その手は雲を掴むどころか、星空の向こう側にまで、時の果てにまで伸びていく。美月だったら、いつでも此処に通えるような方法だって、いつの日か見つけ出してしまうのかもしれない。
「求め合った時が、そのまま再会の時になる。その時に備えて、私の居室と実験室の収納物も百年は保護管理できるようにしておいたよ。
素材は保存処理してあるし、機械もメンテナンスフリーに換装してあるから、小里さんから許可をもらった後なら、自由に使って構わないよ。けれど、用が無い時にはむやみに触ったりしないでね」
 具体的な決まりごとまでちゃんと規定してしまう美月の計画性に、思わず苦笑してしまう。
 かけらも悲壮感を含んでいない、不思議なまでの安らぎ。
 履いてきた靴下は苔と土ですっかり汚れてしまったけれど、これくらいは、授業料としてもそう高くなかったのかもしれない。もっとも、美月はその靴下さえ液化ガスであっというまに洗浄・乾燥してしまったのだから、美月が知る想天界の技術水準は、私の想像を遥かに超えたところに、位置しているに違いなかった。
「美月も、ここを出て行くっていったけれど・・・目的は、もう叶ったの?」
 聖体が再臨するべきものかどうかの是非を、観察者の立場で見極めるという、美月の本来の目的。その結論を暗に求めた私に、美月は、あっさりと首を横に振った。
「純理、人から真理を教えてもらおうなんて思っているうちは、もっと自力で考えないと駄目だよ。だから、今は教えてあげない」
 そう言って、いたずらっぽく笑う美月に、私はぐっと押し黙ってしまう。
 いま、美月が立っている視点に行き着くには、これから、十歩どころか軽く百歩以上も先にいる美月を追いかけていかなければならない。そのためには、私がまだ学んでいない、遥かに膨大な知識に情報を身につけて、研鑽を積んでいかなければならない。
 そんな私をよそに、美月は床に置いたバッグを手にとって、再び肩にかける。
「二人には、余計な手間を掛けさせちゃったかな。それじゃあ、またねっ」
 夢を、夢で終わらせることなく、現実のかたちとして、創りあげていく。そんな美月の姿は、人が元来持っている、果てしないあこがれの、一つの象徴だった。
 技術の精神を生まれながらに備えている美月は、また新たなステージへと、創造の翼で羽ばたいていった・・・と思いきや、数歩ほど離れた所で美月は足を止めると、あらためて私達に向き直った。
「あ、そうそう。純理にとっては大事な要件がもうひとつあったのに、うっかり忘れてしまうところだった。はい、これ」
 細かい字や図面がびっしりと書き付けられているメモ。
 その内容を先に覗き込んでしまった由良は、くすりと笑みを漏らした。
「『純理でも十日でできる、氷砂糖の構成法』――確かに、純理にとっては死活問題かもね」
「私がいなくなったら、何かと困るでしょ。禁断症状が出ないうちにマスターしておくことを推奨するよ」
「もう・・・再会した時には、美月の口どころか、身も心も、全部とろけさせるくらいに凄いのを作って見せるからねっ!」
 二度目の別れは、その分類には入らなかった。再会の誓いに支えられながら、私達と美月は、それぞれ異なる道へと、足を踏み出した。

 変わらない場所、変わらない時。時が無限に回収され、幾度でも始原の時が再訪し繰り返されていく世界。外の歴史と恒常的に並行しながらも、距離を置いている空間。その空間の核となっている白梅寮の中でも、場の力が最大限に発揮される要の場所のひとつ、月見台。
 永久(とこしえ)の世界に溶けていく道を選んだ二人は、いつにも増して、満たされあっているように見えた。
「えっ・・・、きくなって、ずっと踊れなかったはずなのに・・・」
「きくなは、亜実に踊りを教えてあげてるんだって。純理は、まだ寝ている最中だったから、知らないのも無理はないけれどね」
 ずっと腰を下ろしたままで庭園や月を眺めていたきくなが、亜実の手を取って自らの動作をなぞらせている。
 時には一枚の絵を描くように、時には空を切り裂いて、瞬時に新たな場を生み出していく、次々と生み出されていく一連の動作は、目に見える全ての雰囲気を自在に変幻させて、強烈と言っても構わないまでに、感情の輝きを解き放っていた。
「きくな、亜実。あらためて、挨拶に来たよ」
 由良の一言で、踊りに目を奪われていた私は、ようやく我に返る。
きくなと亜実も、私達に気付くと間もなく稽古を中断して、私達を迎えてくれた。
「とうとう、純理が本調子になる日が来ちゃったか。白梅寮も、急に寂しくなるなぁ・・・」
「流転は永久より立ち上りし片鱗。これもまた、世の習いというものです。先程まで美月様が訪れて下さっていたのですが、御二方が、最後のお客様ということになります」
亜実の与えてくれたふたつの示唆が、新たな感傷の風を誘う。
「そう・・・、楓も、希もなんだ。美月に会ったら、ちゃんと、お礼を言っておかないとね」
 亜実ときくな以外は、皆此処を出て行ってしまう。それを決めていながら、今日までずっと残っていたのは、私のことを待っていてくれたからに、他ならなかった。
「そんな顔をしないでよ。あまり時をかけてしまったところで、お互い、名残惜しさが大きくなるだけだから・・・これで、終わりにしようね」
 きくなは両手をすっと出すと、そのまま、ぎゅっと強く、私の手を包み込んで言った。
 傍らを見ると、亜実と由良もまた、両の手を互いに包み交わしている。私は、きくなの手を、負けないくらいに強く、ぎゅっと握る。そして、その感触を思い出に刻み込みながら、別れの言葉を告げた。
「果てしなく巡りゆく時の中では、また私達が迷い込んでくることだって、あるかもしれない。その時には、見たもの、感じたものの全てを話して、きくなに伝えるよ」
 美月の受け売りと言ってしまえば、それだけの話。しかし、別れを決め込んでしまうよりも、また巡りあえるようになりたい。その点については、私もまた、美月に深い共感を抱いていた。
「純理も、なかなか素敵な夢を描けるようになったじゃない。いつか、遠く退いていった時を眺めたくなった日には、いまの純理の笑顔と声を、想い浮かべるよ」
 外の歴史がどれほど変化しようとも、二人の想いは、きっと変わらない。かつて結んだ夢を守って、落ち着きの場所を与えてくれる。
 雨上がりの陽が差し込み、セミロングの髪が一瞬の輝きを見せる。その、煌びやかなまでの生命の輝きからは、不思議な安らぎと暖かさが感じられた。
「由良様、純理様、行ってらっしゃいませ。皆様方の無事を、お祈り申し上げます」
「行ってらっしゃい。私達が終わらない事象の中、月と花を愛でつつ待っているということ、忘れないでね」
 第三の別れは、恒常と無常の邂逅。ひとつ積み重ねた出会いと別れを経て、私達もきくなも亜実も、変わらない一方で、それぞれの道を歩み出そうとしていた。

 桜の花びらが音も無く舞い散る白梅寮を辞し、私と由良は、最後の場所を目指して出立する。かつて、結び得なかった想いを結ぶために。
 清清しいのに、なぜか寂しい。
 嬉しいのに、どこか切ない。
 一度きりの道程。
 春の野の道。
 その先にある場所は、過去と現在と未来の結節点。

 ぽっかりと開いてしまった空。薄雲からしたたり落ちる、細やかな光の雫。まばらに若芽が広がり始めた露地を遠巻きに囲うのは、ところどころの樹皮が剥げ落ち、傷ついている樹々。
 一度は無惨に荒らしてしまった土地にあって、土塊、樹、草のひとつひとつを掌に感じ、癒し甦らせようとしている、群青の少女。その影に 寄り添うのは、見慣れた明るい朱色の制服。
 外部から訪れた私達を除いて、白梅寮の時間は無限に循環している。ゆえに、満開の花々はいつまでも咲き続けるし、傷ついた樹々を放置しても、自然に前の状態に回帰する。しかし、希は自らの行いの傷痕を、自らの手で癒すことを望んだ。
「たった十日で、ここまで再生させてしまうなんて・・・やっぱり、希はすごいね。もちろん、楓も手伝ったからだろうけれど、ね」
「いまの楓と希は、すっかり以心伝心だもの。私や純理と、全く同じようにね♪」
 由良の言葉に、希は薄く頬を染めて、軽くうつむき加減に、視線をそらす。
「まったくもって、酷い話です。私に無断で、こんなことまでしてしまうなんて・・・もはや、私はいかなる手段を持ってしても、私自身の生命が尽きる瞬間まで、楓を殺すことができなくなってしまいました。隙を見せてしまった私にも、責が無いわけではありませんけれど・・・」
 意識を失い瀕死の状態にあった希を救うために楓が取った方法は、希との共融だった。
 生涯解くことの出来ない生命と精神の絆を結ぶという行為への覚悟が、どれほど大きいものなのか、実際にやった私には、それがよく分かる。
 楓が、希に対して抱いていた想いは、私が由良に対して抱いた気持ちと同等以上に強いものだった。そして、そのことを、楓は自らの行為によって、証明して見せたのだった。
「この事実を知って以来、私は、過去を必死に引き継いで守ってきた私からも、未来を執拗に追っていた私からも、断ち切られてしまいました。後に残ったのは、ずっと憎んできた現在の私だけ。まるで、自分という存在がばらばらに砕けてしまって、欠片の一つに過ぎなくなってしまったみたいです」
 私達は、希という人格の、存在の根を断ち切ってしまったのかもしれない。それも、不可逆的に。そのことを思うと、弁解と罪の意識が混ざり合って、何を話したらいいのか、とっさに言葉が出てこない。
「心配しなくても、大丈夫。希ちゃんの芯の強さは、純理ちゃんもよく知っているはずだよ」
「楓は簡単に言っていますけれど・・・ここまで気持ちを整理するのに、私が、どれだけ思い悩んだことか。その苦しみを知らない楓ではないでしょう。まだ、すぐには無理です・・・」
 嬉しそうに話す楓の様子に、また少しふくれてしまう希。しかし、その表情には、これまでずっと背負っていたような、重い影は無かった。
「ごめんなさい・・・私達、本当の意味では、希を救うことが出来なかったのかもしれない」
 希の存在を変質させてしまった罪は、認めなければならない。プラスとマイナスはあくまで別のものであって、打ち消しあう効果はあっても、存在そのものが消えることはないのだから。
「けれど・・・・無くした欠片を集めようなんて、思わないで。疵(きず)つき、損なわれた後にも、なお残っている輝き――その輝きの内にこそ、永遠の時間に耐えうる価値があると思うから」
 希は、ちょうどすぐ近くに立つ樹を優しくいとおしむと、同じ瞳で、私達に振り向く。
「失った部分も、やがては新しく生まれ変わっていきます。このような身体では〝時を告げる者(クロックメーカーズ)〟たりえるかどうかも怪しいものですけれど・・・当面は、楓とこの地を癒しながら、新たな自分と向き合っていきます」
「それには及ばないよ。希ちゃんの頑張りのお陰で、この土地は、もう自立を始めているもの。手当てがあらかた終わった後の純理ちゃんと同じで、これからは、この子たち自身の頑張りに任せるべき時が来ているよ」
 希の背後をいきなり占有して肩を揉みしだく小里さん。
「ひぅっ!! き、急に何ですか・・・やめて・・・ぁぅっ・・・くだ、さぃ・・・・」
 希はびくっと痙攣して、くすぐったいのか盛んに身もだえしている。けれど、血の気が引くほど驚いたのは、私も同じだった。
 こんな所に再び現れてくるなんて、さっきの別れの挨拶は、何だったんですか!?
「びっくりしたぁ・・・小里ちゃん、何も無いところから突然出てきたんだもの・・・」
「ん・・・希ちゃん、若いのに肩こりすぎ~・・・あれはね、境界条件の一部をちょいちょいっと弄っで遊んでみただけ。お姉さんが、暇に飽かして開発してみた、六百五十の余興の一つだよ」
 おそらく、小里さんは自ら存立せしめたこの空間に限れば、場の作用や構成原理すら自在に操作することができるのだろう。希が小里さんに手を出そうとしなかった理由が、なんとなく、分かったような気がした。

「希がここにいる理由、なくなっちゃったね。続きを、外の世界で考えることにしても・・・何処に落ち着くことにする?」
 突然の経歴の跳躍にも、いちはやく適応してしまった由良が、あっけらかんと点鐘を鳴らす。
 これまでに限らず、これからも、私の在りかたを変容させていく由良という存在を理解するには、そして、この生涯の伴侶と時を紡ぎ、針路を導き出すに到るまでには、私達にもまた、充分な時間が必要になりそうだった。
「特に候補が無かったら、私達の学園にしようよ♪ もともと、純理ちゃんと私が通っている所だから、生活する分にも、困ることはないよ」
「そこまで簡単には行かないと思うよ。ここで思いつくだけでも、市民権の問題とか、身分の保証人の問題とか・・・」
「ならば、なおさら、その場所の方が宜しいかと思います。少なくとも、楓と純理の二人には公的な身分が保障されているのですから、むしろ、好都合な点の方が多いことでしょう」
「由良ちゃんは純理ちゃんに付いていくし、純理ちゃんも、これ以上の反論は無いようだから、全会一致で決定だね。小里ちゃん、こんな感じに、転送お願いします」
「小里お姉さんにかかれば、これくらいお安い御用だよ。それじゃあ・・・みんなまとめて、いってらっしゃい」
 空間そのものが私達を包み込むとように湾曲し、ゆらめいていく感覚。
 その、五感が溶けていくような感触に身を任せながら、私は最初には言えなかった、最後の挨拶を、小里さんに向けて贈った。

 そして、由良と出会った時の公園に、私達は再び還ってきた。
 それからは、目まぐるしいほどに多忙な一時が過ぎていって、差しあたっては、由良と希は、私と楓が、それぞれ預かっていくことになった。

「純理、よりによって転校初日に寝坊しちゃうなんて、酷いよぉ~。わたし、純理に案内して貰わないと、まだ、学園への道程だって分からないんだよ」
「ごめんっ! 久しぶりに美月からの通信が来ちゃって、返事を書いていたら、つい・・・」
 表層意識を共有しているのだから、感応だけで意思疎通が出来る。にも関わらず、私達は、依然として、声を介した会話を続けていた。
 長年続けてきた習慣だからというのも勿論ある。けれど、それ以上に、お互いへの感情を、身体全体を使って表現したいと思っているという理由の方が大きかった。
「それにしても、純理の学園って、試験難しいんだね。あれだけうまく答えられらのに、もう少しで編入できない所だったなんて・・・」
「由良が学識を満点で抜けた方が、よほど奇跡的。落ちかけた理由は、一般常識と面接が散々だったからだって、もうちょっとは、自覚を持ってよね・・・」
 そうこう言っている内にも、私と由良のポケットにそれぞれ入っている生徒手帳が、揃って見事な二重奏を演出する。
 そして、坂の向こうにある正門前からは、お揃いの朱色の制服に身を包んだ楓と希が、苦笑しながらも私達を呼んでいる姿が見えた。
 新しい生活。新しく出来た友達。そして、先の見えない未来への旅。しかし、何処にあって、どのような時代を生きていようと、私自身はまだ変化の途上で、その点では変わってはいない。
 時間に限らず、多種多様な事物の本質を見極める為にも、私がこれから学ぶべきことは無数にあった。
 目の前で起こっている『現在』というものに意識を向けることをしなければ、それがあるということさえも、見えなくなってしまう。
 由良との出会い、そして、白梅寮での夢のような日々を経てから、私の前に拡がる風景は、見違えるように輝きと色を帯びるようになった。
ゆらめく陽炎のような不確定な要素に満ちている日々の在り方が正しいのかどうか、それは、私もまた、さらに考えを深めなくてはならない。 しかし、時の不確定性を克服できなくても、起こりうる全ての可能性と蓋然性に対する感性の切れ味を更に高めていくことを通して、より適正な道を選ぶための意思決定の質を高めていくことは、私達にだって、きっと出来るようになっていく。
 そして、その繰り返しによって、今をいっそう輝かせていくことができれば、進むべき道も、見つかってくるような気がする。
 その時こそが、私達にとっての、本当の出発の時となるに違いなかった。

 可能な限り、最善の答えを追及する、果てしなく続いていく、旅のはじまりに。





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