Lunatical life in broad daylight
へにょ~~~…… リ ツ 。ヮ ツ。
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変なところで凝ってます
 手持ちの小道具を増やすべく、図書館から借りてきた本で呪歌のお勉強。付け焼きで片付けるつもりでしたが、大雑把に把握して原稿に取り入れるまで三日もかかっちゃいました……って、それだけではあまりにも内容が無さすぎですね(汗)

 もうちょっと内容が出るよう、大雑把に解説すると……(↓)

 呪歌とは、万葉から近世まで使われてきたウタの一種で、「呪力を帯びている」と認識されていた和歌形式にあって、広く呪い歌として使われるに至った歌の一群を指すものです。
 特定の論理に基づいて構築されているものはむしろ少なく、特定の語句や形式からの連想が重視されており、身体的、情緒的に心性に響く要素があると認められれば、まったく別の意図によって生まれた物語や歌でも呪歌として転用されるケースがあります。
 連想→転用の有名な例としては、在原業平の歌である「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」が、「ち」や「川」、「紅」、「くくる」などからの連想で血止めの呪歌になった例がありますが、一説では、百人一首のすべての歌が、何らかの霊力を持っているとか……(昔の人はリサイクルが得意でしたが、文学や言霊までも対象になっていたようです(^_^;)
 言霊信仰の一種なので、歌がオリジナルであるかどうかはこの際関係なく、有名歌人からの転用以外は、素性のはっきりしない歌、一部の意味が失われた歌、仏道や修験道の思想を反映したもの、神詠など、出自や背景も雑多。伝承が進むにつれて派生形や二次的な用途が生まれたり、用途上全く意味のない部分がそのまま残されていたり、「霜柱氷の梁に雪の桁雨の垂木に露の葦草」(火伏せの呪歌)のように超現実的な内容が含まれていたりと、良くいえばフレキシブルで包容力があり、悪く言えば実にいい加減なものだったりします。

 このように、厳密性や論理構築とは縁遠いオカルト的存在であった呪歌は、明治以降は西洋思想の流入に伴って非科学的とされ、日常生活から急速にその姿を消していきました。しかし、民間では千年以上ものあいだ、安全祈願、災害予防、狩猟や漁業の成功祈願、病気の治療、感情制御、猫探しに至るまで、様々な場面で唱えられたり、呪歌を書いた紙を呪符とするなど、庶民のまじないの呪文としてごく普通に用いられてきたのです。
 具体例を逐一挙げると相当な量になるのでここでは割愛しますが、現代の一般的な日本人にとって、広く融通が利いて論理よりも心性を重視する呪歌は、オリジナルの呪文を創作・構築するには習得までの所要時間が一番短い形式と言えるでしょう。
(※もちろん、王道で修得する方法もありますけれど、時間とお金がいっぱい必要です。神語を自在に操って神と交流するための巫術修行は、素質があっても師匠付きで7年かかるとか……)

 結局、意味が通っているような通っていないような回文歌(上から読んでも下から読んでも同じ読みになる和歌)のフレーズをひとつ作りましたが、それだけでも思っていた以上に大変でした。
 五芒星符でウサギさん似の式神を出したりする子がどんなに凄いか、身にしみて分かってきた今日この頃です(^^;




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