Lunatical life in broad daylight
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しつけジンクスに疑似科学を使う行為の正当性と危険性
 先日、犬の散歩で小学校の隣にある公園に立ち寄りました。

 グラウンドには、子供とソフトらしきものをしている親らしい大人がいましたが、その方はゲームの話題を口にした子供に向かって、化石級のトンデモ疑似科学との評価が定着した『ゲーム脳』のあらましを、大まじめな口調で「前頭葉って、知ってる?」などと語りだしたのです。

 高校とはいえ、一応教員免許を持っている身。まずは訂正を入れなければという思いが脳裏をよぎりましたが、結局、実際にはそうしないで放置しておきました。

 さて、本題です。果たして、私の取った行動は正しかったのでしょうか。
(以下、長文につき注意)


 はっきり言えば、大人は嘘つきです。子供には「本当のことを言いなさい」と圧力をかけながら、本当のことを言うのは大変ですから、マスゴミに限らず先生でも指導者でも、自分にとって有益だと判断したら平気で嘘をつきます。

 もちろん、嘘を子供に教えるのは道徳的には論外の行為です。そして、私は疑似科学が大嫌いです(嘘八百を他人に擦り込んで他人の考えを操作するための道具として『科学』の名を使うのは許せません。それは、長期的には理学という学問全体への信頼を損ね、深刻な知的衰退を招きます)。
※もっとも、疑似科学が跋扈している背景には、オカルトや科学っぽい言葉を安易に盲信する日本人の低IQ化が根っこに横たわっている訳なのですが……(ゆえに、理科授業の充実化には賛成です。ただし、生徒のレベル別学習を妨害する教科書検定は無用の長物)

 しかし、仮にその方がゲーム脳など真っ赤なウソと知っていた上で、「夜中に笛を吹いたら蛇が来る」などのような「しつけジンクス」の延長として使っていたとしたら?
 その可能性は1%も無いとは思いますが、もしもそうであったとしたら、私が横槍を入れる行為は子供にとって必ずしもプラスになるとは限りません。代わって、私が理屈が通らない小学生に向かって、「ゲームは一日一時間まで。ちゃんと勉強しないと、良い大人になれないよ」と言ったところで、そうしてくれる可能性はほぼゼロです。

 話がややこしくなってきましたが、それでも私がこの問題を簡単に片付けられないのは、「科学」は「迷信」を退ける存在であって欲しいという良心を残しているからです。仮説が事実であるかどうか、徹底的に検証を重ねる、最後の良心であって欲しいからです。

 近代における科学の歴史もまた、民間に蔓延していた迷信を打ち破る系譜でした。消毒や種痘法(ワクチン接種)という現代では常識となっている行為も、当初は医者達の反発に遭い徹底的に攻撃されたのです(※世間様の前で「自分のやり方は間違ってました」と認めることになりますからね)
 それでも、偏見や嘘や思い込みに屈することなく、強固な意志をもって真実の剣で戦い、時には科学者同士が自らの理論を検証し積み重ていく戦いを重ねてきたからこそ、科学は進歩し、社会的な利益を生み出してきたのです。

 もちろん、その一方で間違った科学が優生学などの狂信を生み出してきたのも事実です。
 それでも、故意についた嘘が許される訳ではありません。悪質さという点では、比較にならないほど有害です。

 嘘はいつかは露見します。きちんと勉強をしていけば、それを見抜く力も自ずと身についてきます。統計学を知っていれば安易な断定はできなかったはずのインフルエンザ治療薬の忌避や、定量的・定性的な考え方をしていれば効果があるわけがないと理解できる、マイナスイオンしかりです。
 しかし、一部の大企業やマスメディアが公然と嘘を垂れ流しているような現状で、各個人の自浄効果を期待する姿勢は正しいのでしょうか。消費者を騙して経済を活性化したり、子供を言いくるめるのに便利だからと言って、科学に迷信を語らせていいのでしょうか。

 自分の中では珍しく結論が出なかった問題。
 怪しげな言葉で他人を操るのはカルトと同種の劇薬ですので、出来ればあんな行為は認めたくないのですが……





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