Lunatical life in broad daylight
へにょ~~~…… リ ツ 。ヮ ツ。
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中の人も大変です
予報が外れて晴れになったので、図書館に行って借りると決めていた本7冊と気まぐれに取った本1冊を借りる。3週間の期限があるとはいえ、1日100ページのペースなのでまじめに読まないと間に合わなさそう。不要同人誌の売却金を元手に日本橋で入手した小説本4冊と電撃hpは棚にあずけてこっちに専念することにする。

そういえば、ちょうど日本橋で多量の幟を立てたハルヒ祭が開催されていたけれど、今の自分には幟に猫かれた涼宮ハルヒの表情が「『こっち』はもう押さえといたからね」と主張するかのような、どこか悪戯めいた笑みに見えてきてしまう。小説を見た人間なら公知の事実であるように、あの話は認識論と存在論と時間に関する哲学に根っこの一端を絡みつかせているのだから。そして、それらに関する文献を、自分は周回遅れとして参加した遅刻者のように、これから読んで勉強しなくてはならない。

時間に関する哲学者は国内では科学における哲学的問題を問うた大森荘蔵が知られているが、他にも西洋学的な2,3の有名な論がある。

何故ここで科学が出てくるのかというと、今日において科学と哲学は否応も無く不可分の関係になってしまったから。約80年前に出現した量子力学とそれに付随する不確定性原理が既存の論理のことごとくに深刻な亀裂を生み出してしまい、一般相対性理論は重力と時間と空間を一体化してしまった。宗教においても、魂の所在や宇宙論などなど、数千年前に聖典を記した人間には責任を持たせられないような種々の問題が山積しており、御都合主義で無視しない限りは科学的視点を抜きにした世界など語ることはできない。

それらに生じた亀裂を修復する、新しい理学的世界観に即した論理が現在では求められているが、当然のように、理学と哲学の両方に精通じた人間で、しかもこのひどく難解な課題に立ち向かえるだけの域に到達している者は極めて限られている(職業的物理学者たちが慣れない哲学書を執筆せざるを得ないのも、この切実な問題の解決が大いに立ち遅れていることを実証している)。しかし、かつてこの解決の鍵になるかもしれない新たな認識論、存在論を突きつけた1人の哲学者がいた。パリ・フロイト派の総帥ジャック・ラカン。その論理は、偶然なのか、はたまた意図されたものなのか、量子力学と奇妙なほどにうまく一致するという。

もっとも、超弦理論のように、「驚異的なくらいにうまく説明が付くけれども、実験的に証明する方法が未だに見つからないから完全に正しいとは言い切れない」という、40年の歳月を経てもなお哲学の世界から現実に抜け出せない論理もあるのだから、理屈的に矛盾が無くても、その論理が正しいという保障はどこにも無い。しかし、勉強してみないことには論点すらも明らかにならない――ということで、意図せずに借出した1冊がラカンの量子力学―量子力学の哲学的基礎なのでした。




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